山上的酒店 田山录弥

山上的酒店

田山录弥

金刚山的两家宾馆,其中位于长安寺的那家很有意思。虽说是酒店,其实并没有大的建筑物,而是租借了长安寺的一部分,将僧房隔开,用No. 1, No. 2等编号。那里随意地放着床铺和桌子。说是食堂,也不过是在比较大的僧房里摆上两三张桌子,在上面盖上晒布而已。而且那里的人很有趣。服务员、伙计、经理、领班都是满铁的员工,从六月到十一月,不管有没有客人来,不管寂寞不寂寞,大家都是在履行职责。其中也有带老板来的,但大多都是一个人。不管怎么说,从火车轨道进入山里有三十里路,即使有汽车通行,带个女人来也很不容易,一般都是一个人。这就是朝鲜女人来卖酒的情况,但我却不知道。

因此饭店的人对旅客的到来非常高兴。每天傍晚,从唯一的交通线平康来的火车就像疲惫的旅人一样发出轻微的轰鸣声,裹着白色的尘土开进来。一听到这声音,经理、伙计、服务生等所有人都感到惊讶。聚集到周围,对它抱有某种期待。如果其中有一个旅客,当然会举起双手高兴地欢迎,即使没有,或者是妻子的信、恋人的信,或者是一瓶葡萄酒、一包奇怪的罐头,每天唯一的乐趣就是期待这些。是有的。就像在远海孤岛上等待定时驶进轮船的人们一样。

火车经过的道路也很有趣。以寂寥平凡的平康车站为起点,或是白色尘土飞扬的笔直长长一条路,或是屋檐低矮破旧房屋混杂的乡间小镇,或是被火车的轰鸣声吓得跳起来的牛拼命地在路旁奔跑不是吸引来的劳动者,就是被夹在逐渐逼近的山与山之间的冷清村落,形成汉江汉江支流的溪谷,去那里的时候,为了渡过溪谷,从对岸扁平过来。得等很久,等着大船的朝鲜人来。从某个乡村出发,一个乍看之下怎么看都像是日本人的朝鲜人提着大包上了车。最难忘的是日暮时分,在夕阳的余晖中眺望被称为“一万两千峰”的金刚山林岭时的情景。

 金剛山こんがうさんにある二つのホテル、中でも長安寺ちやうあんじにあるものは面白い。ホテルと名には呼ばれてゐても、大きな建物があるではなく、長安寺の一部を借て、僧房を仕切て、それに No, 1 とか No, 2 とか番号をつけてゐる。そこに無造作に寝台ねだいと卓子テーブルとが置いてある。食堂と言つても、いくらか大きい僧房に二つ三つ卓子を配置してそれに晒布さらしをかけただけである。そしてそこにゐる人達が面白い。ボーイもコツクも支配人も番頭も皆満鉄の社員で、六月から十一月ごろまで、客が来やうが来まいが、さびしからうがさびしくなからうが皆役目で来てゐる。上さんを伴れて来てゐるものも中にはあるが大抵はひとりである。何と言つても汽車の線路から三十里も山の中に入るのだから、たとへ自動車が通つてゐるにしても、女を伴れて来るのは大変である。で、大抵はひとりでゐる。それを目蒐めがけて朝鮮の女が酒を売りに来るといふ話である。しかしそれは私は知らない。

 従つてホテルの人達は旅客の来ることを非常に喜ぶ。毎日夕方になると、唯一の交通線である平康からの自動車が疲れた旅人のやうに微な爆音をあたりの翠微に震はせながら、白い埃塵ほこりに包まれて入つて来るが、それを聞くと、支配人もコツクもボーイも誰も彼も皆その周囲に集つて行つて、何等かの期待をそれに持つのである。旅客が一人でもその中に入つてゐれば無論双手を挙げて喜んで歓迎するが、それがなくとも、或は妻からの手紙、恋人からの手紙、でなければ葡萄酒の一罎、変つた缶詰の一包をそこに期待するのを毎日の唯一の楽みとしてゐるのである。丁度絶海の孤島の船着に時をきめて入つて行く汽船を待つ人達のやうに。

 その自動車の通つて行く路がまた面白いのである。さびしい平凡な平康の停車場を発足点として、或は白い埃塵の立つ真直な長い一条ひとすぢの路、或は軒の低い白ちやけた家屋の混雑ごた/\と連つてゐる田舎の町或は自動車の爆音に驚いてはね上る牛を一生懸命で路傍に引寄せようとする労働者、でなければ次第に迫つて来る山と山との間に挟まれたやうになつて見えてゐるさびしい村落、漢江かんかうの一支流を成してゐる渓谷にかゝつて行つた時にはそれをわたるために、対岸から扁平たい大きな船の朝鮮人に棹さゝれてやつて来るのを長い間待たなければならないのであつた。ある田舎町からは、一見したところでは何うしても日本人としか思へないやうな朝鮮人が大きな包を持つて乗つた。中でもことに忘れられないのは、日暮近く、断髪嶺だんぱつりやうへと路がかゝつて行つて、その峠の上から一万二千峰ぽうの称ある金剛山のりんじゆんをさやかに夕日の影の中に眺めた時のことであつた。

耶馬渓的一夜

田山花袋

中津车站因为镇上的祭典或其他什么活动而拥挤不堪。而且雨下得很大。我们走到通往耶马溪的轨道上,那里也挤满了乘客。

好不容易坐上了车,却迟迟不发车。乘客不断上车。大部分都是来看祭礼的人,有缠着红腰带的大姐,有穿着盛装的孩子,还有老婆婆,其中也有小学老师模样的人。大家没有坐下,都站着。

“太拥挤了。”

同行的女子说道。女孩的母亲缩成一团,勉强坐在角落里。正要走进山里,雨却没有停的意思,我们心里很难受。

耶马溪山谷里肯定也有旅舍。可是,有什么旅馆来迎接我们呢?脏兮兮的被褥、昏暗寂寥的房间、连话都说不懂的山里百姓——想到这里,我对旅行也失去了兴趣。

过了一会儿,轨道车开走了。比铁路马车稍早。中津的街道忽隐忽现地消失了。赖山阳最初住过的寺院就在附近的车站附近,杉树林渐渐映入眼帘,对面的旧相识八面山露出城墙般的身姿。小车站停靠在小车站。车上的乘客一个接一个地下了车,走到即将进入溪谷的车站时,车厢里已经变得和缓,没有人站着了。

雨也小了。

“真好啊——”

这个女人高兴地说。

不一会儿,成溪的第一口潺潺溪渐渐铺展开来。村子有的倚山,有的沉溪。往下看,山谷里的浅滩洁白美丽。

我想起上次来的情景。当时,他们从中津沿河而来,在炎热的道路上乘马车而来。和带着一个和男人私奔到福冈的村里姑娘一起回来。姑娘一副闷闷不乐的样子,即使同行的男人给她买了冰块,她也不愿意喝。是个眼睛很可爱的女孩。

“太好了!”

听女人这么一说,我才发现轨道车已经站在美丽的返鱼瀑布前,正要驶进樋田的洞门。山与山重叠,云又涌向山上。

我到处展示给女人和她的母亲看。“你看,从洞门里走过去,那里有条路。走着走着,景色非常漂亮。”

渐渐地,带岩一带的奇岩如雨后春笋般陆续露出来。有的从簇云之中,有的从连绵的山峰之上,时而闪着松树,时而摇曳着桧木林——还有蜿蜒曲折的溪水在其间流淌。

从樋田来到罗汉寺时,暮色已近,朦胧的暮色中隐约可见村庄、桥梁、山谷、道路。薄雾渐浓。

我回顾了罗汉寺所在的山附近,已经看不见那个样子了。

山谷渐渐入夜。到达某个车站时,已经连溪流的白濑都看不见了。火车停了下来,唯水淙淙。

幸运的是雨似乎放晴了。把手伸到窗外的女人,

“啊,太好了。”

说着,仰望着底部明亮的天空,如果天气晴朗,月亮一定会把溪谷点缀得更加美丽。

“天气好像要变好了。”

“也许吧。”

这朦胧的夜晚,仿佛被衣架着的白茫茫的夜晚,令我欣喜不已。我从五月开始就注意到,三等车厢亮着灯,二等车厢却没有亮灯。

“不叫吗,好大的火车二等车厢啊。”那个女人对我和她的母亲说。

“我喜欢黑暗,那里可以看到山和河。”

我对买的女人说。刚才车上那么多的乘客——三等车厢和二等车厢都没有的乘客,不知什么时候都下了车,我们所在的车厢里,除了我们三个人之外,只有一个男人躺在角落里。

没有灯光的火车在茫茫的白茫茫夜色中静静地行驶着。河面白茫茫的,两岸隐约有奇岩耸立,但到处都有人指指点点。我想,这也是车上没有灯光的缘故。

火车驶离津民车站时,躺在一角的男子突然坐起身来。

“刚才的是津民吗?”

“是的……”

他们往窗外看了一会儿,好像发现了什么,就慌了神,急忙跑到出口,“危险啊!”女人和母亲担心地向他搭话,他也不听,就吧嗒吧嗒地跳了下来。

女人站起来走了,往里看了看,说:“哎呀,真粗鲁,跳下去了。”

“不知道会不会有什么闪失……危险啊。”

母亲也这么说。

“没什么,速度慢,没关系的。”

“不过,真粗鲁啊,会不会什么不舒服,会不会受伤倒在地上——”母亲一边说着,一边透过窗户望向月夜的街道。

 町のお祭か何かで、中津の停車場はひどく雑沓した。おまけに、雨はかなりに強く降つてゐる。私達は耶馬渓に行く軌道の方へと行つて見たが、そこにも乗客が一杯押寄せてゐた。

 漸く乗るには乗つたが、中々発車しない。あとからあとへと乗客が乗つて来る。大抵は祭礼を見に来た連中で、赤い腰巻をまくつた姐さんや、晴衣を着飾つた子供や、婆さまや、中には小学校の先生らしい人々もゐた。皆な腰をかけずに立つてゐた。

「ひどく込むわねえ。」

 かう一緒に伴れてゐた女は言つた。女の母親は小さくなつて隅の方に辛うじて腰をかけてゐた。これから山の中に入つて行かうとするのに、雨が止みさうにないのにも私達は心を苦しめた。

 耶馬渓の谷の中にも、旅舎はあるに相違ない。しかし何ういふ旅舎が私達を迎へるであらうか。汚い蒲団、暗いわびしい室、碌々言葉もわからないやうな山中の民――かう思ふと旅の興も失せかけた。

 暫くして軌道車は出た。鉄道馬車の少し早い位である。ぐる/\と、中津の町は見えてそして隠れて行つた。頼山陽の最初に滞在した寺が其処から近いといふ停車場あたりからは、杉林が段々見え出して、向うに旧知の八面山はちめんやまがその城壁のやうな姿をあらはして来た。小さな停車場は停車場につゞいた。そして一杯に乗つてゐた人達は一人下り二人下りて、これからそろ/\渓に入らうとするところにある停車場に行つた時には、もう立つてゐるものもなくなる位に車室はゆるやかになつてゐた。

 雨も小降りになつた。

「好い塩梅ね――」

 かう女は喜ばしさうに言つた。

 やがて渓はその最初の潺渓を段々その前に展いて来た。村が山に凭つたり渓に沈んだりしてゐる。深く覗かれた谷には、瀬が白く美しく砕けてゐた。

 私は此の前に来た時のことなど思ひ浮べてゐた。其時は、中津から川に添つて、暑い道を馬車で来た。福岡に男と駈落した村の娘の伴れて帰られるのと一緒であつた。娘はしほ/\としてゐて、伴れの男が氷を買つて呉れても、それを飲むにすら気が進まないといふ風であつた。可愛い眼をした娘だつた。

「おゝ好い」

 かう女が言つたので、気が附くと、軌道車は既に美しい鮎返りの瀑を前にして、今しも樋田の洞門にかゝらうとしてゐた。山には山が重なり合ひ、雲はまたその山の上に湧した。

 私はあちこちを女や女の母親に示した。「そら、そこの洞門の中を歩いて通つて行くんですよ。あそこに路があるんですよ。歩いて見ると、もつと非常に景色が好いんですがね。」

 段々帯岩一帯の奇岩が雨後の筍のやうに続々としてあらはれ出して来た。あるものは簇がる雲の中から、或るものは連なる峰の上から、時には松をあしらひ、時には檜の木の林を靡かせつゝ――そして渓は幾曲折しその間を流れて行つた。

 樋田から羅漢寺に来た時には、薄暮の色が既に迫つて、村や、橋や、谷や、路がぼつとぼかしの中に見えるやうになつた。霧も薄くかゝりつゝあつた。

 私は羅漢寺のある山のあたりを回顧して見たけれども、既にその髣髴をも認めることが出来なかつた。

 次第に谷は夜になつて行つた。ある停車場に着いた時には、最早渓流の白い瀬をも見ることが出来なかつた。汽車がとまると、唯水の音が淙々として聞えた。

 幸ひにも雨は晴れたらしかつた。手を窓の外に出して見た女は、

「あゝ好い塩梅に止んだわ。」

 と言つて、晴れてゐたら月がさぞ美しく渓を彩るであらうと思はれるやうな、底の明るみを持つた空を仰いだ。

「天気になりさうね。」

「なるかも知れないよ。」

 このおぼろ夜が、被衣につゝまれたやうな茫とした白い夜が私には嬉しかつた。それにさつきから気にしてゐたが、三等室には電気がついて居ながら、二等室には竟に灯が点かなかつた。

「つかないのかしら、えらい汽車の二等室ね。」かう女は私やその母親に言つた。

「闇の方が好いよ。その方が山や川が見えるよ。」

 私はかう女に言つた。さつきあれほど乗つてゐた乗客は――三等室も二等室もない程乗つてゐた人達は、何時となく下りて、私達のゐる車室には、私達三人と他に一人隅に横になつてゐる男があるばかりであつた。

 灯のない汽車は、茫とした白い夜の中を静かに走つた。川の瀬は白く、両岸には、奇岩の兀立してゐるのが微かであるが、それでも到る処に指さゝれた。これも車中に灯かげがないお蔭だなどと私は思つた。

 津民の停車場を汽車が動き出したと思つた時、一隅に寝てゐた男はふと身を起して、

「今のは津民ですか?」

「さうです……」

 窓の外を覗いたり何かしてゐたが、それと知つて慌てたらしく、そのまゝ急いで下り口の方へ行つたが、「あぶないですよ!」と女や母親が心配して声をかけるのも聴かずに、そのまゝばた/\飛んで下りた。

 女は立つて行つたが、覗いて見て、「まあ、乱暴なことをするのね、飛び下りたんですよ。」

「何うかしやしないかしら……危ないねえ。」

 かう母親も言つた。

「なアに、速力が遅いから大丈夫ですよ。」

「でも、ね、乱暴ねえ、何うかしやしないかしら、怪我でもして倒れてゐやしないかしら――」かう言つて母親はおぼろ月夜の路を窓から覗いた。

柿坂车站灯火通明。而且,天空中隐约可见月亮,山村茅草顶的尖顶、在灯光下闪闪发光的车站旅舍、环绕四周的山峦等都清晰可见。水声响彻四周。

甲屋——我们沿着街道走到一处老旧的旅舍,有人对我们说“往别墅方向去”,我们在旅舍灯笼的指引下,沿着雨后泥泞的小路朝溪水声高的方向走去。

这里有被夜露打湿的草丛,也有像田埂那样不好走的地方,女人不停地叫唤着,好不容易把我们领到了一幢两层楼的房子里,那是新建的深树,里面的灯光看上去很美。

不过来得太晚了,二楼都挤满了人。总之,他说着,走到旅馆的人都在的地方,那里已经有一个穿着浴衣的客人了。虽然很失望,但什么也做不了。来到这样的山中,不能说那种奢侈的话。

但是因为付了茶钱,前面的客人都往总店去了,总之那个房间就被我们占领了。而且旅馆主人夫妇也殷勤款待。母亲说:“好像是乡下的亲戚招待来的。”之类的话。

我和女人一起在黑暗中走到溪边。二楼的灯光在一片新绿中显得很蓝。

澡堂是五右卫门澡堂。母亲出来劝道:“我不用了。”说着,女人终究没有进去。女子用金属脸盆倒了一杯热水,擦了擦身子。

房间和家里人的房间相连,所以丈夫、太太和孩子们都毫不客气地进来我们的房间聊天。实际上,就像母亲说的那样,感觉像是被乡下的亲戚叫去了。房间的角落里放着耶马溪烧的廉价陶器和烧制西行像的玩具等,这些颜色鲜艳的东西是卖给客人的,七八岁的男孩在父亲走到这边说话的时候,拿着这些东西走了过来,对父亲说:“西行先生,和尚,西行先生、和尚”等。

夜深了。水声摇晃着我们的枕头。

第二天早上起得很早。幸好天气很好。清爽的晨光深深地照射到山谷里来。深树的绿色下,朝露闪烁着美丽的光芒。

旅馆老板领着我们去了山阳一个叫掷笔田的溪畔。二楼的客人走了以后,他说:“没有什么可担心的。”再次把我们领到那里,吃了在津民谷捕捞的鳗鱼。热腾腾的鳗鱼很好吃。

回去的时候,丈夫带着那个男孩,特意把他送到车站。虽说是茶钱的影响,但毕竟是山里的质朴。“真是的,第一次去的时候,我还以为你会住在这种深山人家里呢,没想到你这么悠闲自在,真喜欢旅行啊,正因为这样才有趣。”买女人说。

实际上确实如此。昨晚在福冈住得很豪华,好像是个大富豪。在此之前的宫岛也是如此。他之所以住在简朴的山中旅舍,也是为了旅行。

回去的时候,我们的脸没有离开窗户。昨夜暮色苍茫的山谷里,到处都是令人瞠目结舌的美丽浅滩。津民川顺流而下的地方特别有感觉。五龙瀑布掀起白色的波浪,漂亮地碎裂着。

渐渐地,我们走出了山。

耶马溪不愧是天下名胜。

或者把它比作球磨川的峡谷,或者把它比作熊野川的峡谷,或者把它比作东北信飞的深溪山,这样看来,无疑会被认为是太浅、太荒凉、太世化的峡谷。但是,这样比较,是初次接触时的心情,不能简单地用这样的比较来概括的价值,在去了两三次之后,渐渐进入了我的心里。

耶马溪山谷并不以其浅滩、水流平凡、斜木稀少为病。要说为什么,溪的特色,价值毋宁在于它的岩石。在山的突兀耸立的形状里。浅谈山谷,潺潺溪水相伴而成。

因此,在这里绝对看不到急濑奔湍的奇景。看不到云烟涌、忽明忽暗的深山之趣。不能像密林深埋山谷、水声潺潺地传来的那种与世隔绝的感觉。在夏日冰冷的清水里,无法获得如切手般的快感。期待这样的事,然后进入那里的人一定会失望。溪流处处点缀着山村,有白墙土墙库房,有乡间篱笆,有时是隧道,有时是溪桥,有时是飞瀑,有时是奇岩,一路向前,仿佛是在观赏文人画的画卷,渐渐荒芜起来。来的山水,足以称得上天下名山之一。赖山阳也觉得这种形式很有趣吧。

从樋田附近到晚上,我所乘坐的轨道车不能仔细观察溪谷,实在令人遗憾,可那辆车上没有灯光,外面月色朦胧,我反而为能看到两岸而感到高兴。爬山虎不是晚上看到的耶马溪,而是奇岩突兀的耶马溪。这成为我对耶马溪做出正确判断的有力材料。

 柿坂の停車場は灯に明るかつた。それに、空には月がおぼろに見えて、山村の藁葺の尖つた屋根や、灯にかゞやいた停車場の旅舎や、周囲をめぐる山などがそれと見えた。水声はあたりに響くやうにきこえた。

 かぶと屋――かう言つて尋ねて街道筋の或る古い旅舎まで私達は行つたが、「別荘の方へ」と言はれて、宿の提灯に案内されて、雨後の泥濘の路を渓声の高い方へと私達はたどつて行つた。

 夜露にぬれた叢があつたり、田の畔のやうな足元のわるいところがあつたりして、女は度々声を立てたが、漸く私達は新しく建てたらしい深樹の中の灯の美しく見える二階屋へと案内された。

 しかし来るのが遅かつたので、二階はみんなふさがつてゐた。「まア、兎に角」と言つて通された処は、宿の人達のゐるつゞきで、其処にすら浴衣がけになつた客が既に一人控へて居た。失望したけれども、何うするわけにも行かなかつた。かうした山の中に来ては、そんな贅沢なことは言つては居られなかつた。

 しかし茶代を下した効目で、前にゐた客は、本店の方に行くことになつて、兎に角その一間は私達の占領することが出来るやうになつた。それに、宿の主人夫妻が何彼と深切に歓待して呉れた。後には、母親は「田舎の親類にでも招ばれて来たやうな気がしますね。」などと言つた。

 私は女と一緒に闇の中を渓の畔まで出て行つたりした。二階の灯は静かに新緑の中に青く見えた。

 風呂は五右衛門風呂であつた。母親は出て来て勧めたけれど「私はよすわ。」と言つて女は遂にそれに入らなかつた。女は金盥に一杯湯を貰つて体を拭いた。

 室が家の人達の室と続いてゐるので、亭主や上さんや子供達は遠慮なく私達の室に入つて来て話した。実際、母親の言葉通り、何処か田舎の親類へでも呼ばれてゐるやうな気がした。室の隅には耶馬渓焼の廉い陶器や、西行の像を焼いた玩具や、いろ/\なものが客に売るために置いてあつたが、七八歳になる男の児は、父親の此方に来て話してゐる傍に、それを持つてやつて来て、「西行さん、坊さん、西行さん、坊さん」などと言つた。

 夜は静かに更けた。水声が私達の枕を撼ゆるがすやうにした。

 あくる朝は早く起きた。幸ひに天気は好かつた。さわやかな朝日の光線は深く谷の中までさし込んで来た。深樹の緑に置いた朝露はキラ/\と美しく光つた。

 宿の亭主は私達を案内して、山陽の筆を擲つたといふ渓の畔へと伴れて行つた。二階の客の発つたあとでは「お構ひもしなかつた。」と改めて私達をそこに導いて、津民谷で獲れた鰻などを馳走した。あつさりしてゐて旨い鰻であつた。

 帰る時には、亭主はその男の児を伴れて、停車場までわざ/\送つて来て呉れた。茶代の影響とは言へ、流石は山の中の質朴さであつた。「本当に、初め行つた時は、こんな山の中の家に泊るのかと思つたけれど、却つて呑気で好かつたわねえ、旅はこれだから面白いのねえ。」かう女は言つた。

 実際さうであつた。昨夜は福岡で大尽でもあるかのやうな派手な泊り方をした。その前の宮島でも矢張さうであつた。それがかうして質朴な山中の旅舎に泊るといふことも旅なればこそと思はれた。

 帰りには私達は窓から顔を離さなかつた。昨夜闇にすぎた谷には、目をみはるやうな美しい瀬が、そこにも此処にもあらはれてゐた。津民川の流れて落ちるあたりは殊に感じがすぐれてゐた。五竜の滝は白い波頭を立てゝ見事に砕けてゐた。

 次第に私達は山を出て行つた。

 耶馬渓はしかし矢張天下の名勝たるには恥ぢなかつた。

 或はこれを球磨川の峡谷に比す、或はまたこれを熊野川の谷に比す、乃至はまた東北信飛の深い渓山に比して見る、さうして見れば、無論余りに浅い谷、余りにあはれな谷、余りに世間化した谷のやうに思はれるに相違ないが、しかしさうして比較して見るのは、初めて接した時の心持で、単にさうした比較で片附けて了ふことの出来ないやうな価値が、二度行き三度行く中に、次第に私の心に飲込めて来た。

 耶馬渓の谷は、実にその浅いのを、またはその水の瀬の平凡なのを、また斜木の少いのを病とはしてゐないのであつた。何故と言ふに、渓の特色は、価値は寧ろその岩石にあるのである。山の突兀として聳えた形にあるのである。従つて浅い谷が、潺渓とした水が却つてそれに伴つてゐるのである。

 であるから、此処では、決して急瀬奔湍の奇を見ることは出来ない。雲烟涌、忽ち晴れ忽ち曇るといふやうな深山の趣を見ることは出来ない。密林深く谷を蔽つて水声脚下にきこえるやうな世離れた感じを味ふことは出来ない。夏日の冷めたい清水に手も切るゝやうな快を得ることは出来ない。さうしたことを望んで、そしてそこに入つて行くものは必ず失望する。しかし渓流が処々に山村を点綴して、白堊の土蔵あり、田舎籬落あり、時にはトンネル、時には渓橋、時には飛瀑、時には奇岩といふ風に、行くままに、進むままにさながら文人画の絵巻でも繙くやうに、次第にあらはれて来るさまは、優に天下の名山水の一つとして数ふるに足りはしないか。頼山陽もさうした形が面白いと思つたのではないか。

 私は私の乗つた軌道車が、樋田あたりから夜になつて、渓を一々仔細に目にすることの出来ないのを憾んだが、しかしその車に燈火がなく、外はおぼろ月夜であつたために、却つて両岸のを見得たことを喜ばずにゐられなかつた。夜に見た耶馬渓ではなくて、奇岩突兀とした耶馬渓であつた。それが私に耶馬渓に対して正しい判断を与へる有力な材料となつた。

奇岩一个个透过夜晚微亮的天空耸立起来。

第一次去的时候,我觉得罗汉寺的岩石也是这条溪的一部分,也没什么不好意思的。从柿坂到新耶马溪的深处,我的这种想法得到了肯定。

耶马溪作为整个溪非常有趣。那里有蓝色的洞门,那里有罗汉寺,另一边还有像柿坂那样的山间驿站般的村庄,形状很有趣。从这里一个一个地离开五龙溪,离开点返瀑,离开带岩,离开津民谷,绝对不能单独炫耀自己的胜利。

我还深入山移川的山谷看了看。走到一个叫落合的村庄附近。这里无疑也是耶马溪画卷中的一幅试印。

尤其令我难以忘怀柿坂甲屋那宁静的一夜。轨道建成后,我在车站附近建了新的旅舍,那里正好靠近山阳掷笔松一带的溪潭,清冽静谧的溪声彻夜回荡在我的枕边。

那潺潺的溪声形成了耶马溪的特征,绝不是日光一带听到的凄清的怒吼,也不是盐原一带听到的潺潺溪水,更不是上高地一带听到的呜咽。那是静静的溪声。

因此,在四季中,秋天是最美的。我想红叶的美确实保持了这个山谷的和谐。其次是春天。夏天,山谷里相当炎热,加上山浅,虫子很多,它们纷纷聚集在灯光周围,实在无法安静地坐着。不过这个山谷夏天能捕到相当美味的香鱼。津民谷产的鳗鱼也不油腻,很喜欢。

我第三次去的时候,因为下雨,卯花开得雪白。我在记事本上写下了这样一首和歌:“雨中,卯花多,山谷间,黄昏宿。”

 奇岩は一つ一つ夜の微明るい空を透して聳えて見えた。

 従つて最初行つた時に、羅漢寺の岩石も、この渓の一部であるとして見れば面白くないことはないと思つた。柿坂から新耶馬渓の奥を究めるに至つて、いよ/\さうした私の考へは肯定された。

 耶馬渓は渓全体として面白いのであつた。其処に青の洞門があり、彼処に羅漢寺があり、またその一方に柿坂のやうな、いかにも山の宿駅らしい部落があるといふ形が面白いのであつた。こゝから一つ一つ、五竜の渓を離し、点返りの瀑を離し、帯岩を離し、津民谷を離して見ては、決して単独にその勝を誇ることは出来ないのであつた。

 私は山移川の谷もかなりに深くわけて入つて見た。落合といふ村のあるあたりまで行つて見た。此処も矢張、耶馬渓の絵巻の一つのシインであるに相違なかつた。

 ことに、私は柿坂のかぶと屋の静かな一夜を忘れかねた。軌道が出来たので、その停車場の近くに新しい旅舎をつくつたが、それが丁度山陽の擲筆松といふあたりの渓潭に近いので、さゝやかな静かな渓声が終夜私の枕に近く聞えた。

 そしてその渓声は、耶馬渓の特徴を成してゐるので、決して日光あたりで聞くあの凄じい怒号でもなく、また塩原あたりで耳にするあの潺渓でもなく、また上高地あたりで聞くあの嗚咽でもなかつた。それは静かに囁くやうな渓声であつた。

 従つて、四季の中では、秋が一番美しいであらうと思ふ。紅葉の美は確かにこの谷の調和を保つであらうと思ふ。次には春が好いであらう。夏はこの谷の中はかなり暑い上に、山が浅いために虫が多く、それが灯の周囲にぱら/\と集つて来て、とても静かに坐つてゐることは出来なかつた。しかしこの谷では夏はかなりに旨い鮎が獲れた。津民谷で獲れるといふ鰻もあまりにしつこくなくて好かつた。

 私の三度目に入つて行つた時には、雨で、卯の花が白く咲いてゐた。「雨にあふもまたあしからじ卯の花の多き谷間の夕ぐれの宿」といふ歌を私は手帳に書きつけた。

『水野仙子集』と其他

田山録弥

《水野仙子集》及其他

田山录弥

水野仙子集即将由丛文阁公开。可喜可贺。那个女人纯粹是以《文章世界》为故乡,然后走上文坛的人。我不由得想起《黑屋》啦,《寺庙里的孩子》啦,《徒劳》啦。

纯真、正直的性格,认真的心情,以及始终朝着该前进的方向前进的心……。

我家没有一年了。五月来的,十二月已经在代代木深处靠近树林的地方有了别的家。狭小的只有两间房的房子,经常能听到松树声的房子,树叶沙沙作响的房子,我喜欢把那个女人放在那里看。作为天真无邪的文学书生,作为一心扑在艺术上的姑娘。那时候,我经常去跟他说。“这不是挺好的吗?能如此安静地、专心地沉溺于艺术之中——与其接触现实人生,不如静下心来,有什么不好呢?”

但是,这毕竟是不得不触及的真实人生。我不知道当时多么希望她能这样冷静一点。在羽翼长出更加结实的翅膀之前,在自己涌出能够保护自己的力量之前——。那个女人却不听我的话。那个女人一溜烟地走向了现实人生。

接触实际人生,对那个女人有什么影响呢?我现在不想在这里说这个。但至少,她的艺术曾一度因此受挫,这是不争的事实。实际上,人生对她来说是相当艰辛和沉重的负担。实际接触越多,艺术的镜子就越模糊,从古至今都没有改变。

但是,那个女人在经历过一次的现实人生中,总是想要表现出来,真是了不起。那个女人孜孜不倦地工作着。

在我看来,比起《道》、《光辉的早晨》等作品,早期的《四十余日》、《寺院里的孩子》、《黑暗之家》等作品更有光芒。至少,初期的作品没有一点反感。无论什么都能坦率地、坦率地接受。我这么说,也有生病或做了什么事的原因——这一点我们必须理解,但读者认为《光辉的早晨》中尖锐的神经和《沉落的日子》中对自己的鞭策绝对很大。不给。《道》等书也一样,虽然到某一点为止还没有失去初期的真,但其中似乎有为自己辩护的地方,这一点不能视而不见。在我后期的作品中,还是会怀念《三轮》等作品中作者那种安静寂寞的形象。

被自己的生活所束缚也很好。我并不责怪那个。要说为什么,因为一切都是从被捕捉开始的。但是,艺术所表现的形态却不能如此。不要被它抓住。不,我认为在现实生活中,只要是稍微好的现实生活,也会具备这种所表现的生活形式。可惜的是,那个女人没能充分破坏它继续前进。但是,疾病一方面形成了这样的形态,另一方面,把她带进了更加深刻、更加认真的境地,这是事实。

在草津将近一年的生活,对她来说更有意义。但遗憾的是,除了两三句感想之外,并没有留下什么关于他的生活的东西。因此,在了解那个女人的过程中,这种感想尤其宝贵。

我看见了白雪照耀下明亮的日影。然后看了看站在那里看日影的那个女人。她看到堆雪中残存的一些青草和正在观赏啄食它们的小鸟的女子。我感到一种难以言喻的悲哀涌上心头。

在那座山中,恐怕那个女人已经舍弃了对现实生活的小小反感。也抛弃了由疾病引起的苦恼。舍弃一切,继续走向再生的道路。想到这一点,我感到艺术与现实生活的交错变得越来越好了。

不管怎么说,这一点是确定的。在我一生所遇到的众多女性中,她是最纯洁、最真实、最耿直、最正直的异性——。

“安静,请安静——”

这样的女人也许会在坟墓里说话。

时至今日,我仍然这么认为,她是多么希望无声无息地死去。她做了所有的事情。还写了日记。信也烧掉了。我希望有这样一个女人死的时候,甚至不让人知道她曾经活在这个世上。这颗心,这颗心不是很悲哀吗?

那个女人曾经成为《青鞜》的成员之一。但是,那个女人的心情似乎并没有那么轻松。那个女人说。“我实在无法和那些人在一起嬉闹。”她的心是如此的寂寞而认真。

有人说。“您是这么说的,但我可以这么想,在这个社会上没有交涉的人,就不能称之为小说……”

“这也太极端了吧。”

“我的意思是,屠格涅夫的作品之所以有价值,是因为它有助于农奴解放,像这样,世界上没有交涉的人,就会说那不是小说。”

“那太极端了……这样的话,就变成社会之下有艺术的形态了。也就是说,艺术被社会压迫的形态。原来如此,那样的时代有时也会有。但我不认为现在是那样的时代。”

“真是不可思议啊。”

“以我现在的心情来说,也许正好相反。屠格涅夫作品的价值不在于触及这种社会,而恰恰是附属于第二位的,真正的价值应该在其他地方。否则,艺术这东西就完全隶属于实际了。

“我是这么想的……”

“也就是说,随着时代的变化,颜色也会变的不同。不过,那只是表面而已。形成轴心的东西还是金刚不坏,不会动摇的。”

“毋宁说,这样说也许能明白,也就是说必须触及人心,触及现实,否则就不是小说,也许是这样说的,然后逐渐扭曲,不就变成这样了吗?”是啊,没错,不然就太肤浅了。”

这种话我也不得不说。

心,灵魂。这是第二位的,间接的社会。非买不可。因此,我们要向着构成社会根本的心、灵魂前进,没有必要后退,向社会妥协。如果有人敢于这样做,那一定是艺术的堕落。

以艺术为宗旨的人,无论做什么都必须向内而不是向外。内心的烦闷、痛苦和欢喜必须伴随心灵而去。比起外在的刺激,更应该被内在的刺激深深打动。

克罗波特金与托尔斯泰的差异,外与内的差异,以心为问题的与以社会为问题的差异,等等,难道不是应该好好考虑的吗?

什么都不用去执行不是吗?你不知道实践绝对与艺术无缘吗?难道不知道,如果一味强调实行,艺术就必须由一个人来衰落吗?但是,话虽如此,我并不是轻视实践。如果眼前出现了必须执行的危机,我一定会立刻卷入这场混战之中。但是,我认为现在还不是那样的时代。我觉得稍微安静一点比较好。

由外到内,由内到外。这必须是我们的生活。

无论怎么想,现在的思潮都太科学、太客观了。过于拘泥于外在,内部则放任自流。是不是有必要冷静地思考一下呢?

不温不火的自由再多也没用。遇到事情,有时会马上妥协的自由——。

所谓自由,首先必须从自己的自由开始谋划。连自己的自由都不能完全保持的人,又有什么资格要求自由呢?不要忘记,对于某些人来说,自由反而会成为毁灭自身的动机。

自由很好。但是,真正的自由,对于人来说,一辈子也未必能得到。

 水野仙子の集が、今度叢文閣から公にせられることゝなつた。喜ばしいことである。かの女は純粋に『文章世界』をその故郷にして、そして文壇に出て行つた人である。私は『暗い家』だの、『お寺の児』だの『徒労』などを思ひ出さずには居られない。

 純な、正直な性質と、真面目な気分と、飽まで進んで行くべきところに進んで行く心と――。

 私の家には、一年とはゐなかつた。五月に来て、十二月には、もう別な家を代々木の奥の、林に近いところに持つてゐた。狭い二間きりの家、松の音の常にきこえるやうな家、八ツ手の葉のバサバサする家、そこに私はかの女を置いて見ることが好きだ。無邪気の文学書生として、専念に芸術に熱中した娘として。私はその時分、よく出かけて行つては言つた。『好いぢやないか。かうして、静かに、専念に、芸術に耽り得るといふことは――。なまなか、実人生に触れるよりは、落附いてゐて、何んなに好いか知れない』

 しかし、矢張、触れずにはゐられなかつた実人生であつた。私はその時かの女がもう少しさうして落附いてゐることを何んなに望んだか知れなかつた。もう少し丈夫な羽翼の生へるまでは、自分から自分を護る事の出来る力の湧き出して来るまでは――。かの女はしかし私の言ふことをきかなかつた。かの女は一目散に実人生に向つて触れて行つた。

 その実人生に向つて触れて行つたことが、かの女に何ういふ影響を来したか。それを私は今此処で言はうとはしてゐない。しかし、少くとも、かの女の芸術が一時そのために頓挫したのは争ふべからざる事実であつた。実人生はかの女に取つてかなりに辛く且つ重荷であつたらしかつた。実際に触れゝば触れるほど、芸術の鏡が曇つて行くといふことは、今も昔も変るところがなかつた。

 しかしかの女が、さうして一度浸つた実人生の中から、常に浮び出さう浮び出さうと心がけてゐたのは、雄々しかつた。かの女は倦まずに作を続けた。

 私の考では、矢張、『道』だの、『輝ける朝』などよりも、初期の『四十余日』や『お寺の児』や『暗い家』などの方が光つてゐるやうに思はれた。少くとも、初期の作には、小さな反感がなかつた。何でも素直に、素直に受け入ることが出来た。それと言ふのも、病気になつたり何かした為めもあるであらうけれども――それは察してやらなければならないけれども、『輝ける朝』の尖つた神経や、『沈める日』の自己に対する鞭などは、決して大きいといふ感を読者に与へない。『道』などでも、ある点までは、初期のまことを失なはないけれども、何処か自己を弁護したやうなところのあるのを見遁すことが出来ない。矢張、私は、後期の作では、『お三輪』などにあらはれた作者の静かにさびしい姿をなつかしまずにはゐられなかつた。

 自己の生活に捉へられるのも結構だ。それを私は咎めるのではない。何故と言へば、すべては捉へられて行くところから始まつて来るのであるからである。しかし、芸術に表現される形は、そのまゝではいけない。その捉へられたまゝではいけない。否、実生活でも、少しすぐれた実生活ならば、矢張、さうした表現された生活といふやうな形を備へて来るであらうと思はれる。惜しいことには、かの女はそれを十分に破つて進んで行くことが出来なかつた。しかし、病気が一面さうした形を形成したと共に、一面、益々深い、真面目な境にかの女を伴れて行つたのは事実だつた。

 草津に於ての一年に近い生活、その生活が一層かの女に取つて意味のある生活であらねばならなかつた。しかし、惜しいことには、二三の感想の他、その生活を語るやうなものは残つてゐなかつた。従つてその感想は、かの女を知るに於て、殊に、貴重なるものとしなければならなかつた。

 私は白雪に照りかゝる明るい日影を見た。そしてそこに立つてその日影を見てゐるかの女を見た。堆雪の中に残された些かな青い草と、それを啄む小鳥とを見てゐるかの女を見た。私は何とも言はれないやうな悲哀の胸に一杯になつて来るのを感じた。

 その山の中に於ては、恐らくかの女は、あの実生活に対する小さな反感を捨てたであらう。また、その病気から起つて来る苦悩をも捨てたであらう。あらゆるものを捨てゝ捨てゝ、更に再生の途上へと上つて行つたであらう。それを思ふと、芸術と実生活の交錯などは、何うでも好くなつて来るのを感ずる。

 何は措いても、これだけは確かだ。私の一生の道にあらはれて来た多くの女性の中で、かの女が最も純な、最も本当な、最も一本筋な、最も正しい異性であつたといふことは――。

『静かに、静かにして置いて下さい――』

 かうかの女は、墓の中から言ふかも知れなかつた。

 今になつても、さう思はれるほど、それほどかの女は、音も香もなく死んで行くことを望んだのであつた。かの女はあらゆるものゝ仕末をした。日記も焚やいた。手紙も焚いた。かうした一人の女性が曾てこの世の中にゐたことをすら知られないやうにして死ぬことを望んだ。この心、この心は悲しいではないか。

 かの女は曾て、『青鞜』の同人の一人となつたことがあつた。しかし、かの女は到底、さうした軽い、うはついた心持ではゐられなかつたらしかつた。かの女は言つた。『とても、私には、あゝいふ人達と一緒になつて騒ぐことは出来ません』それほどかの女の心はさびしく且つ真面目であつた。

         ×

 ある人が話した。『さう言つたさうですが、さういふことが考へられるでせうか。この社会に交渉を持たないものは、それは小説と言ふことは出来ないなんて……?』

『それは、ちよつと極端ですね』

『つまり、かう言ふんださうです。ツルゲネフの作品の価値のあるのは、それは農奴解放に役立つたからで、さういふ風に、世の中にある交渉を持つてゐない者は、それは小説ではないと言ふんださうです』

『それは極端ですな……。さうすると、社会の下に芸術があるといふ形になるんですね。つまり、芸術が社会に圧せられた形ですね。成ほど、さういふ時代も、時に由つてはあるかも知れませんね。しかし、僕は今がそんな時代だとは思ひませんね』

『何うも、不思議ですよ』

『僕の今の心持から言ふと、それとは丸で正反対かも知れない。ツルゲネフの作の価値は、さうした社会に触れたところにあるのではなくて、さういふのは、むしろ、第二義的に附属して来たもので、本当の価値は、もつと別なところにあると思ふ。でなくては、芸術といふものが、全く実際に隷属して了ふことになつて了ひますからね』

『さう思ふんですけれども――』

『つまり、時代、時代によつて、いろ/\になるんですね。しかし、それは表面だけですよ。その枢軸を成したものは、矢張り金剛不壊ですからね。ビクともしやしませんからね』

         ×

『寧ろ、かう言へば、わかるかも知れない。つまり人間の心へ、現に触れなければいけない。それでなければ小説でない。かう言つたのかも知れない。それが、次第に曲つて、よぢれて、そんなことになつたのではないか。さうだらう。それに違ひなからう。さうでなくつては、余りに浅すぎる』

 こんなことをも私は言はずにはゐられなかつた。

 心へ、魂へ。それが第二義的に間接に社会へ。かうでなくてはならないのである。だから、我らは社会の根元を成す心にこそ、魂にこそ向つて進め、何も退いて、社会と妥協する必要はないのである。もし、それを敢てするものがあれば、それは即ち芸術の堕落でなければならぬ。

 芸術を旨とするものは、何うしても、外よりも内に向はなければならない。内部の煩悶と苦痛と歓喜とに心を伴つて行かなければならない。外から起る刺戟よりも、内から起る刺戟に一層深く心を動かさなければならない。

         ×

 クロポトキンとトルストイとの相違、外と内との相違、心を問題にしたものと社会を問題にしたものとの相違、これなども大いに考へて見なければならないものではないか。

 何も実行に趨らなくつても好いのではないか。実行は絶対に芸術と伴はないといふことを君は知らないのか。実行が重ぜられるやうになれば、芸術はひとり手に衰へなければならないのを知らないのか。しかし、かうは言ふものゝ、私とて実行を軽んじてゐるのではない。私とて、すぐ眼の前に、実行しなければならない危機がぶら下つて来たとすれば、直ちにその巴渦の中に入つて行くに相違ない。しかし、今はまだそんな時代だとは私には思はれない。もう少し静かにしてゐて好いと私は思ふ。

 外より内へ、内より外へ。これが私達の生活であらねばならぬ。

 何う考へて見ても、今の思潮は科学的すぎる、客観的すぎる。あまり外的に拘泥しすぎて、内部はそのまゝ放つたらかしてある。もう少し個人が落附いて考へて見る必要はないか。

 生温い自由がいくらあつたツて為方がない。事に触れ、時に際して、すぐ妥協して了ふやうな自由が――。

 自由といふことは、先づ自己の自由から謀はかつて行かなければならない。自己の自由すら完全に保持することの出来ないものが、何うして自由を要求する資格があるであらうか。ある人に取つては、自由は却つてその身を滅ぼす動機になるものであることを忘れてはならない。

 自由は結構だ。しかし本当の自由といふことは、人間に取つて、一生かゝつても得られるか何うか疑問である。

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作者:倾城
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