风对草木低语 土田杏村

風は草木にささやいた

土田杏村

风对草木低语

土田杏村

山村君

你和我不知出于何种不可思议的机缘,有着如此深厚的交合,而你的新诗集的一角,如今也出现了我的话语。你恐怕不是想把我当作一个评论家来对待,让我发表什么吧。作为文坛的一员,我也不打算看你的诗集。你的生活对我太严肃了,你的诗对我太尊贵了,所以我多少有些以那位评论家的态度对你感到羞耻。而有一个中国诗人经常把诗带到街上老妪的雅量,如果你听到我的话,那就是我的幸福。

我想这是第三次对你的诗发表评论了。最初是在《第三帝国》上写《提倡新文艺的理想》一篇文章,提倡我所谓的神秘象征主义哲理的时候,其中我首先这样主张了我的艺术理想。

1首先,与人道主义者的主张相反,文学必须去掉一切道德伦理标准。

2必须脱离个人的相对的经验的感觉和感情,表现超个人的绝对的形而上的感觉和感情,也可以说是宇宙或自然的感觉和感情。与此相对,只表现前者的感觉和感情而不能暗示后者的感觉和感情的艺术称为感伤主义艺术。

3表达这种意义的感觉和感情的手段(材料)必须适当地对应于这种感觉和感情,所以手段不允许超越感觉和感情,也不允许其反对。换言之,要表达某种特异独特的感觉和感情,不能用联想这一手段来表现。那种特异的感觉和感情必须用仅此而已的东西,即既不是以上也不是以下,也不是其他的东西来表现。这就是象征。

从我这种神秘象征主义来看,你是怎样的诗人呢?

“我从很久以前就认为,如果说不去看我自己真正希求的、完全吻合的作品,那么大部分作品都有某些地方是好的,如果说不太好,那么大部分作品都有某些地方是不好的,但最近我为找到了一位几乎符合我希求的艺术家而感到欣慰和鼓舞,那就是诗人山村暮鸟先生。通过他的作品,我一直认为他是我自己主张的神秘象征主义的体现,现在听说了他的创作态度等,更能增强这种感觉。像他这样卓越的艺术家,在其真正价值上得不到承认和理解的一般文坛,可以说完全不知道如何对待艺术家。”

现在已经没有必要对你发出这样的感叹了,你的诗已经成为所有真正的人们的惊异。当你那断断续续看的诗结集成册,沉重地沐浴在阳光下的时候,饥寒交迫的人们该有多高兴啊!仿佛能亲眼看到。

接下来写关于你的是《光阴》的《光阑诗》。

“山村先生的诗将坚定的把握如实表现出来。山村先生的诗中有一种宗教家的崇高和安定。他的态度战胜任何感觉的印象,毫不动摇地将它们全部同化。他的诗中充满了预言家的爱情,他的世界是全宇宙的,自然的一草一木一石都与他有着共同的生命,他的感情向往着世界创造者的感情。因此,他的诗表现了能够严厉批判个人性格感情的普遍的、绝对性的东西。”

这句话对你来说已经成了过于老套、过于庸俗的颂词了。如今,对你的诗赞叹不已的人随处可见。

第三次在这里想就你的诗说点什么,也只能重复刚才的话,祝福你那丰饶的天分。对我来说。

山村君

我是哲学的一名学生。我和你正朝着不同的方向前进。你想凭直觉握住东西,我在握住的同时理智地怀疑。像你这样能直接抓住东西的人真叫人羡慕。最近,我特别想尽量充实自己的思想,从早到晚几乎都伏案读书,沉湎于思考,已经写了很多书,其间,我从四点到日落时分散步。超越时间,把这仅有的闲暇时间投入大自然的怀抱。而且,长时间封闭在室内,来到自然界一看,自然完全不接受自己。而且,思索和真正的东西是截然不同的。这种时候,我马上反省自己,觉得自己的样子太可怜可怜了。但也有这样的时候。思想上完全接近中世纪时期的哲学,有些现实主义者和现实主义者将其视为烦琐哲学的糟粕而加以排斥,而自己的思想也逐渐朝那个方向发展,陷入所谓现实所谓人生之中。阻隔坐在洛北的田垄上,看着夕阳徐徐西下时,我的心脏的跳动消失在远处村庄的房屋、森林和竹林中弥漫的暮霭中,在那里一心想着神。这种时候,我感到自己的思想与自然逐渐交融。或者也有这样的事。在几座相连的寺院内走了一圈又一圈,倾听某座佛堂深处诵经的谐音,思考挂在禅庵柱子上的偈章句,在超凡脱俗的※(“木+眉”,第3水准1-85-86)之间有时凝视着票面上的文字,完全忘记了自己和自己的思想。对于这样生活的我来说,迷执是难以摆脱的原罪。思想上变说改论总是没完没了,不知道到底有多少部分对自己来说是不可怀疑的,就会变得无情。然而,在所有这些时刻,你的诗不可思议地对我来说都是真实的。我的情绪正从完全的反对向反对移动,然而你的诗却总是给我亲昵的感觉。那实在是你的诗的奇迹。

山村君

你也知道,我的神秘象征主义原本来自大乘佛教的哲理。我起初执着于实用主义的现实哲学,但从那时起,我的思想就不再是实用主义,而是象征主义。后来,随着思想的不断深化,我品味着现在所谓逻辑主义的严密性,对律凯尔特、柯奥恩、法萨阿尔、波尔图亚诺等思想越来越坚定,我的理智欲望一方面得到了满足,另一方面的宗教需求又该如何满足呢?一下子迷惑起来。就在那时。我之所以立志投身大乘佛教,成为佛弟子修行。“作为标准的爱”之类的东西也是那个时候出现的。神秘象征主义的骨架也是在那个时候出现的。而且读到禅宗这种超俗的内在宗教的偈子,其表达方式与现代法国象征派诗人的偈子太过相似,令我惊讶。我又读了你先前的诗集《圣三棱玻璃》,在精神贫乏的当今我国,竟然有如此不可思议的诗境,我心中充满了对你的惊异和敬畏。其实在灵性深处发现秘密的殿堂,就是在感官的棱镜中享受富瞻的色彩。只有你知道。像你这样彻底的象征主义者,在西欧也找不到例子。你那只吟诵名辞的简洁诗,正是从东方人的血管里流淌出来的血液的纯粹结晶。

我的神秘象征主义的理论以后无论如何改变,但神秘象征主义始终是不可动摇的真理。那是艺术其物真理其物成立的先验。不,一切都是先验的先验。而你的诗超越了这些主义。

现在我也刚从那次散步回来。这条路一如往常,从与加茂川相隔十二丁的高堤(我想那应该就是往昔的加茂川吧)上往北走。那里矮竹叶繁密,春天的云雀早已在鸣叫。忽然,不知哪里的钟声缓缓地流过菜田边。我一边听着那声音,一边思索着大自然的真实。不管怎么说,诚实、真挚、温良是自然的。亦,一直健全是自然的。

山村君。你总是排除那种现实主义。我也一样。不过,那又怎么样呢?那只不过是在文坛这个文化显象的角落里隐约存在的事实罢了。现代文明是复杂的。对我们来说,文坛的自由主义是远远不够的,巨大的蛊惑和侮辱不断袭来。有时真的会生气,甚至会产生一种我也要在其中战斗的冲动。但那是我们的生命有三四个的时候的事,我们仅有的一个短暂生命不应该浪费在这种无意义的事情上。我们必须抓住真正的东西。没有丝毫妥协,也没有丝毫偏执,必须认真地生活下去。要真正创造出自己满意的东西。这种时候自然是我们最好的指导者。

你的诗正是自然的一部分。你的诗没有诗人的诗味儿。还有哪位诗人像你这样容易接近又亲切呢?无论是以前的诗集还是现在的诗集都是一样的。有人说你以前的诗集难以理解,说你在这本诗集里收集的诗是奇迹般的转变,但对我来说,以前的诗和最近的诗没有一点区别。如果不是,那是因为你在感性或直觉上看到了你的体验在不断燃烧。我们脆弱而容易受伤的心灵有时会感到悲伤,有时也会咏唱“已”,119-中-22”的歌,有时也会咏唱苦恼的自暴自弃。然而,它们都在某种程度上向我们的感伤主义献媚。你的诗是自然的健全。你的诗具有创造者的力量。不可思议的是,人的灵魂必须是你的诗。而且那是你高尚人格的表现。

山村君

你说你要把这本诗集送给人类。你的手又大又有力。自由地、大胆地将双手全部伸到人类身上。然后给她。那是预言者独有的特权。我也因你的诗而感到安慰和鼓舞,我很高兴能成为其中的一员。

一千九百一八年三月

風は草木にささやいた

土田杏村

 山村君

 君と僕とは如何なる不思議の機縁あつてか斯くも深いまじはりに在り、君のその新しい詩集の一隅にいまは僕の言葉がつらなることとなつてゐる。おそらく君は僕を一評論家と遇して何事をか述べさせようとするのではなからう。僕もまた文壇に立つものの一人として君の詩集にむかはうとは思はない。君の生活は僕にとつてはあまりに嚴肅であり、君の詩は僕にとつてはあまりに尊貴であるが故に、僕は幾分でもかの評論家の態度に於て君に對することを恥ぢてゐる。而もかの唐土の一詩人がつねにその詩を街上の老嫗にもたらした雅量をもつて君が僕の言葉にきかれるならばそれは僕の幸福といふものだ。

 君の詩について僕がなにごとかを言ふのはこれで三度目だと思ふ。はじめは「第三帝國」で「新文藝の理想を提唱す」の一ぺんを書き、僕の所謂神祕的象徴主義の哲理を提唱した時であつて其の中で僕はまづ僕の藝術理想を斯く主張した。

1 まづ人道主義者の主張に反して文藝からは一切の道徳的倫理的の標準をとり去らなければならない。

2 個人的相對的經驗的の感覺と感情とをはなれて超個人的絶對的形而上的の感覺と感情、言はば宇宙或は自然がもつ感覺感情ともいふべきものを表現しなければならない。これに對して前者の感覺と感情とをのみ表現してその奧に後者の感覺と感情とを暗示し得ない藝術をセンチメンタリズムの藝術と呼ぶ。

3 此の意味の感覺と感情とを表出する手段(材料)は適切にその感覺と感情とに對應しなければならぬので、手段が感覺と感情とを※[#「走にょう+兪」、117-下-18]越することも亦其の反對も許されない。換言すれば或る特異ユニイクの感覺と感情とを表現するには聯想といふ手段によつて示してはならない。その特異の感覺と感情とをただそれだけのもの即ち其れ以上でも其れ以下でも以外でもないものによつて表現しなければならない。これが象徴である。

 僕の此の神祕的象徴主義からみた君は如何なる詩人であるか。

「僕は長い以前から僕自身の眞に希求する、もつとぴつたり合致する作品をみないで善いといふならば大抵の作品は何處かが善く、惡いといふならば大抵の作品はその何處かが惡いと言はれ得る程度のものに見えたが、近頃殆んど僕の希求に近い藝術家を見出すことが出來て非常に心強くもうれしく思つて居る。それは詩人としての山村暮鳥氏である。作品を通じてみた氏はどうしても僕自身の主張する神祕象徴主義の具現せられたものであると思つてゐたが、今や氏の創作の態度などを聞知するに及んで益※(二の字点、1-2-22)その感を強めることができた。氏の如く卓越した藝術家を其の眞價に於てみとめ得ず理解し得ない一般文壇は全く藝術家を待遇するの途を知らぬものと言はねばならない。」

 而もいまは君に就てこんな嘆聲を漏らす必要もなく、君の詩はすべての眞面目なる人々の驚異となつてゐる。きれぎれにみてゐた君の詩がまとまつて一册となり、どつしりした重みで日光の中へでる時、まことの生いのちの糧に餓ゑてゐる人達のよろこびはどんなであらうぞ! それが目に見えるやうだ。

 次に君について書いたのは「光陰」の「光りにあくがるる詩」の中である。

「山村氏の詩は確固と掴んでゐるものをそのまゝに表現する。山村氏の詩には宗教家の崇高けだかい安定がある。其の態度は感覺の如何なる印象にも打ち勝つてすこしの動搖なく、すべてそれらを同化する。氏の詩からは豫言者のもつ愛情が湧いてでる。氏の世界は全宇宙的であつて自然の一草一石も氏と共通のいのちを持つて居る。氏の感情は世界の創造者のもつであらう感情へ向つてあこがれる。したがつて氏の詩は個人的性格の感情を嚴然として批判し得る普遍的絶對的のものを示してゐる。」

 此の言葉は最早、君に對してあまりに沈套なそしてあまりに平俗な頌辭となつてしまつてゐる。今、君の詩に讃嘆を惜まぬものは到る所にみることが出來る。

 三度此處に君の詩について何事かをのべようとしても、亦先きの言葉をくり返して君のその豐饒な天分を祝福するより外は無い。僕にとつては。

 山村君

 僕は哲學の一學徒だ。君とはまつたく別の方向に進んでゐる。君は直覺的に物を握らうとし、僕は握るまへに理知的に疑はうとする。君のやうに直截に物の掴める人は眞にうらやましい。近頃は殊に自分の思想をできるだけつきとめてみようと思つて朝から夜までほとんどぶつ通しに机にむかひ、讀書と思索とに沈潜しつゝまとまるだけ多くを纒めてかいてゐるが其の間にただ四時から落日頃までを僕の散策の時間にとつておいて此の僅かのひまを自然の懷に抱かれようとしてゐる。併し長い間、さうして室内に閉籠つてゐて自然界にでてみると自然はまるで自分をうけつけてくれない。そして思索と本當の物とはまつたく別だといふ氣が切にする。そんな時、僕はすぐに自分を反省して、自分のすがたが餘りにみすぼらしく憐れに見える。だが亦斯んな時もある。思想上では全然中世期の哲學に近づいて、或る實際主義者現實主義者からはかの煩瑣哲學の亞流として排斥せられる其の著作にしたしみつゝ、自分の思想も次第にその方向にすすむやうになつて所謂現實所謂人生からはまるで阻隔してゐながら、洛北の圃の畝に腰をおろして夕日のやすらかにいり行くのを見遣る時、自分の心臟の鼓動は遠い村村の家や森や竹藪にたなびく夕靄の中にきえていつてそこでひたすらに神を想ふやうになる。こんな時には自分の思想はすつかり自然と交融してゐるのを覺える。或は亦斯んなこともある。いくつか連つてゐる寺寺の境内をそれからそれへと歩き廻つて、と或る御堂のおくの讀經の諧音に耳をすましたり、また禪庵の柱に懸けてある偈の章句を考へたり、超俗的な※(「木+眉」、第3水準1-85-86)間の額面の文字にひたと見入つたりしながら、自分といふもの、自分の思想といふものを全く忘れてしまつたやうになることがある。こんなにして生活する僕にとつて迷執は常に離れがたい原罪ウアジユンデである。思想上では變説改論まことに恆なく、實際どれだけが自分にとつて不可疑的の部分か解らなくなつて情無くさへなる。しかし其等のすべての時に亙り、ふしぎに君の詩は僕にとつて眞實である。僕の氣分などはまるでふはふはして好惡の標準が全然の反對から反對へと動きつつあるにも拘らず君の詩はいつも僕に親昵感を與へるものである。それは實に君の詩の奇蹟だ。

 山村君

 僕の神祕的象徴主義が元來、大乘佛教の哲理からきたものだといふことは君も知つてゐる。僕は始めプラグマチズムの現實哲學に執着してゐたが、其頃から僕の思想はプラグマチズムとはいはないで象徴主義と銘打つてゐた。後、次第に思想が深化して現今の所謂論理主義の嚴密さを味ひつつ、リツケルト、コオエン、フツサアル、ボルツアノとだんだんに固くなつてゆくにつれて僕の理知欲は一面に滿足させられたが他面の宗教的要求を如何にせばやと惑ふ樣になつた。其頃のことである。僕が專心大乘佛教の中に浸つて佛弟子たる修業に志したのは。「公準としての愛」といふやうなものも其の時に出來た。神祕的象徴主義の骨組もその頃に出來た。そして禪宗のやうな超俗的内面的な宗教がその究竟境を示すときの偈を讀み、その表現があまりに現代フランスの象徴派詩人のそれと共通してゐるのに驚いた。更にすすんで君の先きの詩集「聖三稜玻璃」を一讀するや、誠に精神的に貧弱な現今のわが國に斯くも摩訶不思議の詩境にあそぶものがあるかと僕の心は君に對する驚異と畏敬とにみたされた。實にも靈性の深奧に祕密の殿堂をみいだすことは感覺のプリズムに富瞻の色彩を悦樂することである。それを知るものは君である。君のやうな徹底した象徴主義者は西歐にも其例を見ることができない。君が名辭のみを聯ねた詩の簡潔こそは東洋人の脈管からながれでた血のその純粹の結晶であらう。

 僕の神祕的象徴主義の理論は此後いくらでも變改するであらうが神祕的象徴主義は何としても動かない眞理だ。それは藝術其物眞理其物の成立するアプリオリだ。否、凡てのアプリオリのアプリオリだ。而も君の詩はそれらの主義から超越してゐる。

 今も僕は例の散策から歸つてきたところだ。いつもの道だが、加茂川から一二丁の間隔を置いて平行にはしつてゐる高い堤(それは往昔むかしの加茂川のそれではないかと思ふ)の上を北の方へあるいて行つた。そこには丈の低い小笹が繁つて早くも春の雲雀が鳴いてゐる。ふと菜畑のほとりをゆるやかに何處かの鐘の音がながれた。僕はその音に聽入りながらつらつらと自然のあらはれの信實を思つた。何と言つても信實な眞摯なそして温良なものは自然だ。亦、いつも健全なのは自然だ。

 山村君。君はつねにかのジアナリズムを排してゐる。それは僕も同樣だ。併しジアナリズムぐらゐが何だ。それはただ文壇といふ文化顯象の片隅にかすかに存在してゐるだけの事實に過ぎないではないか。現代の文明はもつと複雜だ。僕等には文壇のジアナリズムぐらゐではすまない大きな蠱惑や侮辱が絶えず攻めよせて來る。時折は而かもほんとに癪に觸つて僕も一ばんその中で戰つてみせてやらうかと言ふ樣なむら氣が起る。しかしそれは僕等の生命が三つも四つもあつた時のことで、たつた一つしかない短い生命はそんな無意味なことに費してはならぬ。僕等は本當のものを掴まねばならぬ。すこしの妥協も拗氣もない眞摯に生きなければならぬ。眞に自分の滿足するものを創出せねばならぬ。そんな時に自然はいい僕等の指導者である。

 君の詩は、恰もその自然の一片として生きてゐる。君の詩には詩人の詩臭ともいふべきものが無い。そして君ほど詩人の中で近づきやすく親しい感じをもつたものが何處にあるか。それは前の詩集に於いても今の詩集に於ても同じだ。君の前の詩集を難解だと云ひ、君が此の詩集にあつめたやうな詩に對して奇蹟的の轉回だと云ふものがあるが、僕にとつては前の詩と最近の詩と、そのあひだに少しの差違もない。ちがつたとすれば君が或は感覺に或は直觀に、到るところ君の體驗を燃燒せしめつつあるのを外面的に見たからだらう。僕等の弱いそして傷き易いこころは或る時は悲めるものの※[#「土へん+已」、119-中-22]れを歌ひ、或る時は惱めるものの自棄を誦する。併しながら其等はいづれも何等か我々のセンチメンタリズムに媚びてゐる。君の詩こそは自然のもつ健全にある。君の詩こそは創造者のもつ力にある。不斷、人間内奧のたましひのやしなひとなるものはまことに君の詩でなければならぬ。そしてそれは君の尊い人格の發現といふものだ。

 山村君

 君は此の詩集を人間におくるのだと言ふ。君の手は大きく且つ力強い。自由にまた大膽にその手をすべて人間の上に伸べたまへ。そして與へてやりたまへ。それは豫言者のみが獨り持つてゐる特權といふものだ。僕も亦君の詩によつてなぐさめられ勇氣づけられる一人であることを悦んでゐる。

 千九百十八年三月

                             京都にて

                             土田杏村

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作者:congcong
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来源:TechFM
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THE END
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