紫藤 幸田文
藤(一部)
幸田文
しかし、姉は早世した。のちに父は追憶して、あれには植物学をさせてやるつもりだったのに、としばしば残念がってこほし友ていたところを見ると、やはり相当の期待を持っていたことがわかるし、その子に死なれてしまって気の毒である。
但是,姐姐早逝。后来父亲追忆往事时,常常遗憾地说:“我本来打算让她学植物学的。”由此可见,他还是抱着相当大的期望的,那个孩子死了也很可怜。
出来が悪くても子は子である。姊がいなくなった後も、父は私にも弟にも、花の話木の話をしてくれた。教材は目の前にたくさんある。大根の花は白く咲くが、何日かたつうちに花びらの先は薄紫だの、薄紅だのに色がさす。みかんの花は匂いがいいばかりではない、花を裂いて、花底をなめてみれば、どんなにかぐわしい蜜を貯えていることか。杏の花と桃の花はどこが違うか。いぬえんじゅ、猫やなぎ、ねずみもち、なぜそんなこというのか知ってるか。蓮の花は咲くとき音がするといわれているが、噓かほんとか、試してみる気はないか、-そんなことを言われると、私は夢中になって早起きをした。私の聞いた限りでは、花はポンなんていわなかった。だが、音はした。こすれるような、ずれるような、かすかな音を聞いた。あの花びらには、やや怖い縦の筋が立っていて、ごそっぽい触感がある。開く時それがきしんで、ざらつくのだろうか。
即使做得不好,孩子毕竟是孩子。姐姐走后,父亲也会给我和弟弟讲花的故事和树的故事。教材眼前就有很多。萝卜花是白色的,过几天花瓣尖会呈现出淡紫色、淡红色。橘子花不仅气味好闻,把花撕开,舔一下花底,会发现里面储藏着多么香的蜜啊。杏花和桃花有什么不同?狗槐树、猫柳、老鼠糕,你知道我为什么这么说吗?都说莲花开花有声音,不知道是假的还是真的,要不要试一试?——听到这话,我心醉神迷地起了床。据我所知,花并没有发出嘭。但是,有声音。我听到轻微的摩擦声、错位声。那片花瓣上竖着有些可怕的竖条纹,触感粗糙。打开的时候是嘎吱嘎吱的,很粗糙吗?
こういう指示は私には大変面白かった。薄紫に色をさした大根の花には、烟の隅のしんとしたうら寂しさがあり、蛇の群かる蜜柑の花には、元気に生き生きした気分があり、蓮の花や月見草の哄くのには、息さえひそめてうっとりした。びたっと身に貼りつく感動である。興奮である。子供ながら、それが鬼ごっこや縄跳びの面白さとは、全く違うたちのものだということがわかっていた。
这样的指示对我来说非常有趣。淡紫色的萝卜花中,有烟角的寂静;蛇群的橘子花中,有活泼的气氛;莲花和月见草的吵闹,令人屏息陶醉。这是一种刻骨铭心的感动。兴奋。虽然还是个孩子,但他知道那和捉迷藏、跳绳的乐趣完全不同。
藤の花も印象ふかかった。いったいに蝶形の花ははなやかである。ましてそれが房になってさけば、また格別の魅力がある。子供たちが見逃すわけがない。ただこの花は取ることができにくかった。川べりの薮に這いかかっているのは危くてだめだし、野生のせいか花房も短い。庭のものは長い房で美しいが、勝手にとるわけにはいかない。そこで空家の軒とか、廃園の池とかの花の下を遊び場にする。私もそこへ行きたかった。けれども父親からきびしく禁止されていた。そんな場所の藤棚は、一見なんでもなく見えて、実はもう腐れがきていることが多く、ひょっとした弾みに一度につぶれるから危険だ、という。ことに水の上へさし出して作った棚は、植木屋でさえ用心するくらいで、子供は絶対に一人で行ってはいけない、といい渡されていた。
紫藤花也令人印象深刻。一朵朵蝴蝶形的花很艳丽。更何况又开成了房子的模样,又有特别的魅力。孩子们不会错过。只是这朵花很难摘。爬在河边的草丛里太危险了,可能是野生的缘故吧,花苞也很短。院子里的东西长串漂亮,但不能随便摘。于是就把空房子的屋檐、废园的池塘或花下当作游乐场。我也想去那里。但被父亲严格禁止。这些地方的藤架乍一看没什么大不了的,但实际上大多已经开始腐烂了,一不小心就会一下子垮掉,很危险。尤其是搁在水面上的架子,就连花匠都会小心翼翼,还交代孩子绝对不能一个人去。
荒れてはいるが留守番も置いて、門をしめている園があった。藤を藤をと私がせがむので父はそこへ連れていってくれた。俗にひょうたん池と呼ばれる中くびれの池があって、くびれの所に土橋がかかっていた。だがかなり大きい池だし、植え込みが茂っていて、瓢筆というより二つの池というような趣きになっていた。藤棚は大きい池に大小二つ、小さい池に一つあってその小さい池の花がひときわ勝れていた。紫が濃く、花が大きく、番も長かった。棚はもう前のほうは崩れて、そこの部分の花は水にふれんばかりに、低く落ち込んで哄いていた。いまが盛りむのだが、すでに下り坂になっている盛りだったろうか。しきりに花が落ちた。ぼとぼとと音をたてて落ちるのである。落ちたところから丸い水の輪が、ゆらゆらとひろがったり、重なって消えたりする。明るい陽がさし入っていて、そんな軽い水紋のめらぎさえ照り返して、棚の花は絶えず水あかりをうけて、その美しさはない。沢山な虻が酔って夢中なように飛び交う。羽根の音が高低なく一つになっていた。しばらく立っていると、花の匂いがむうっと流れてきた。誰もいなくて、陽と花と虻と水だけだった。虻の羽音を落花の音がきこえて、ほかに何の音もしなかった。ほんやりというか、うっとりというか、父と並んで無言で柠んでいた。飽和というのがあの状態のことか、と後に息ったのだが、別にどういうことがあったわけでもなく、ただ藤の花を見ていただけなのに、どうしてああも魅入られたようになったのか、ふしぎな気がする。
有个园虽然荒芜,但也有人看守,大门紧闭。我央求着去看藤啊藤啊的,父亲就带我去了那里。那里有个俗称葫芦池的中凹池,凹处架着一座土桥。但池塘相当大,树丛茂密,与其说是瓢笔,更像是两个池塘。大池里有一大一小两个藤架,小池里有一个藤架,小池里的花格外娇艳。紫色很浓,花朵很大,花期也很长。架子前面已经塌了,那里的花像要碰到水一样,吵闹着发出低沉的声音。现在正是鼎盛时期,但已经开始走下坡路了吗?花不停地掉落。发出啪嗒啪嗒的声音落下。滴落的地方有圆圆的水圈,摇摇晃晃地扩散开来,重叠在一起消失了。明亮的阳光照进来,连那么轻微的水纹也反射着,架子上的花不断地沐浴着水光,没有那种美感。许多牛虻醉醺醺地飞来飞去。羽毛的声音高低不一地融为一体。站了一会儿,花香扑鼻而来。没有人,只有太阳、花、牛虻和水。只听见牛虻振翅声和落花声,没有其他声音。不知是认真还是陶醉,我和父亲并肩无言地柠着。后来我叹了口气,心想所谓的饱和就是指那种状态吗,其实并没有发生什么事,只是看着紫藤花。
だが、これもずっと後になって、父の藤を書いた随筆を見て、こっとした。この花の秋に哄くものならぬこそ幸なれと書き、の声は天地の活気を語りと書き、この花をみれば我が心は天=もつかず地にもつかぬ空に漂いて、ものを思うにもなく思わのにもなき境に遊ぶなり、と書いているのである。これはそっりあの時の気持ちの通りだとおもう。だがこの文章は私の生まれるより数年前、その廃園の藤の時より十三、四年前に書かれいるのである。とすれば父はこの作文をした明治三十一年以前に,とこかの藤年以前に、どこかの藤で、天にも地にもつかぬ空に漂う気持ち、もの思うにも思わぬにもない、妙な浮かされた思いを味わっていたと推察できるのである。
但是,这也是很久以后,看到父亲写藤的随笔,才恍然大悟。《吵闹的声音》讲述了天地的活力,《吵闹的声音》讲述了这朵花的秋天,我的心飘荡在天上也不像地也不像的空中,在既不思念也不思念的境界中嬉戏。我想这确实和当时的心情一样。但这篇文章是在我出生前的数年,在那座废园的紫藤前十三、四年写的。如果是这样的话,可以推测父亲在写这篇作文的明治三十一年以前,在某个紫藤年以前,在某个紫藤上,品味着飘浮在不沾天也不沾地的空中的心情,也不是想的也不是不想的,一种奇妙的飘浮感。
だが、これもずっと後になって、父の藤を書いた随筆を見て、はっとした。この花の秋に哄くものならぬこそ幸なれと書き、虻の声は天地の活気を語りと書き、この花をみれば我が心は天にもつかず地にもつかぬ空に漂いて、ものを思うにもなく思わぬにもなき境に遊ぶなり、と書いているのである。これはそっくりあの時の気持ちの通りだとおもう。だがこの文章は私の生まれるより数年前、その廃園の藤の時より十三、四年前に書かれているのである。とすれば父はこの作文をした明治三十一年以前に、どこかの藤で、天にも地にもつかぬ空に漂う気持ち、もの思うにも思わぬにもない、妙な浮かされた思いを味わっていたと推察できるのである。
池塘里的花朵格外艳丽。紫色深,花朵大。牢房也很长。架子前面已经塌了,那部分的花几乎要碰到水了,低低的,哀叹着。现在正是鼎盛时期,但已经开始走下坡路了吗?花不停地掉落。啪嗒啪嗒地落下。落下去的地方有一个圆形的水圈,忽而扩散开来,忽而重叠消失。明亮的阳光照进来,反射着如此轻微的水纹波动,架子上的花不断地沐浴着水光,毫无美感可言。许多蛇醉醺醺地飞来飞去。羽毛的声音高低不一地融为一体。站了一会儿,花香扑鼻而来。没有人,只有太阳、花、牛虻和水。只听见蛇振翅声和落花声,没有其他声音。不知是认真还是陶醉,我和父亲并肩无言地柠着。后来我想,所谓的饱和就是指那种状态吗?其实并没有发生什么事,只是看紫藤花,怎么就变得那么入迷了呢?总觉得不可思议。
しかしあのとき、父が何か話したろうかと疑う。私は何も覚えていない、ただ自分の目と耳と鼻の記憶だけしか残っていない。父がかつて文章に書いたようなことを、その時私に話し、私がそれに誘われて夢心地になった、とは考えられないのである。父も私も無言で見ていた、と思うのである。以心伝心だろうか。それとも父子は似た感情感覚をもつ、ということだろうか。それともまた、藤というものがそのような、何か分からない怪しい雰囲気をかもすものなのか。思うたびに、淡い愁いがかかるのである。
但我怀疑当时父亲说了什么。我什么都不记得了,只剩下我的眼睛、耳朵和鼻子的记忆。父亲在文章中写的内容,当时对我说了,我被它吸引,恍如梦乡,这是不可能的。父亲和我都默默地看着。是以心传心吗?还是说父子拥有相似的感情感觉呢?还是藤本身就散发着一种说不清道不明的诡异气氛呢?每想到这里,就会有淡淡的忧愁。
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