飞鸟寺 薄田泣菫

飛鳥寺

薄田泣菫

我来到飞鸟的故乡,秋天已过半,周遭的杂木林闪烁着金光。紧贴家门巴掌大的田地里,荞麦花白花花地洒落着。纤细如红腹灰雀淡红色小脚的茎撩起了下摆,像怕冷似的站立着。不远处飞鸟神社的树丛稀稀拉拉的,踮起脚,便能看见耳成山脉在寒冷中团缩着倾斜的背俯卧着。

私が飛鳥の里に來たのは、秋も半ばを過ぎて、そこらの雜木林は金のやうに黄いろく光つてゐた。つい門先の地面を仕切つた、猫の額ほどの畑には、蕎麥の花が白くこぼれてゐた。纖細な、薄紅い鷽(うそ)の脛のやうな莖が裾をからげたままで、寒さうに立つてゐる。程近い飛鳥神社の木立は、まばらに透いて見え、背伸びをすると、耳無し山が寒さにかじけたやうに背を圓めて、つつ伏してゐるのがついそこに見られる。

在破旧的安居院房顶,立着一只似乎得了什么疾病的乌鸦,发出呱呱的狂热叫声,怯生生地望着周围。在客堂间的入口,野良猫的脊椎歪斜着,散漫地甩着身体,做着白日梦。不知何处传来嘘嘘吹着口笛般的候鸟的叫声,一瞬间又鸦雀无声,连四周悄悄地向这里飘来的散乱的枯叶,翻个身发出的响声,都能听得清清楚楚……

見窄(みすぼ)らしい安居院の屋根には、疫病やみのやうな鴉が一羽とまつて、をりをり頓狂な聲を出してそこらをきよろきよろ見まはしてゐる。お堂の入口には、野良猫の瘠せかじけたのがだらしなく身體を投げ出して、日向ぼつこをしてゐる。何處かでひゆうひゆうと口笛を吹くやうな渡鳥の聲が聞えてゐたが、それもいつの間にか默つてしまふと、四邊はひつそりしてそこらに散らばつた枯つ葉の寐返り一つ打つ音までが、はつきりと耳に響く……

我依靠着一块似乎是从前的地基的平坦石头,目不转睛地注视着那里。飞鸟宫与元兴寺作为遗迹,除了崩塌的钟楼以及像窝棚那样的御堂之外一无所有,在荒废之野苦苦支撑着,似乎在怀念着令人神往的过去,然而情调却已枯竭,似乎在露骨地强迫人们直面人类和自然穷极的命运。

私は以前何かの基礎だつたらしい、平べつたい石に凭れて、じつとそこらを見まはした。飛鳥の宮や元興寺の跡だといつて、壞れかかつた鐘樓と掘立小屋のやうな御堂の他には、何一つ殘つてゐるのではない。荒廢もかうまでなると、惚れ惚れとむかしをなつかしがらせるやはらかい情調は枯れてしまつて、直ぐに人間と自然との窮極の運命を思はせようといふ、露骨な強迫が見えて來る。

过去在此兴荣的人们身后残留的艺术和信仰,之后来到的破坏者肆无顾忌的破坏痕迹,都被埋在草丛底下,述说着为何人类的努力只不过是徒劳罢了。来到这里感觉良好,美不胜收,将它毁灭的人类的某种力量,连土都消灭干净,不留痕迹这样的事情。这个著名的飞鸟大佛,据说是如今残存在安居院的丈六的铜像,殿堂的结构丝毫无损,正因为包括了那仅有的大佛,成为世间不可思议的欺骗传说。实际上,以那个时代的知识而言,完成了据信一万件中连一件也办不到的事情,应该令人感叹,不可思议,人类的努力的极致如果在一中加入“可能”的话,在安居院狭小憋屈的御堂放入丈六的佛,就产生了作为极致的象征参观项目。——不过,变得如此荒芜,如果从前有过努力的迹象,已经一点也看不到了。短暂的人类的工作,站在支撑着的废墟之前,动一下眼睫毛也不足以表示轻蔑。多么严肃沉痛的姿势啊。这里是自然降落的底层,这是非常肯定的,也是全然否定的。——我抱着胆怯的心情,一动不动地闭着眼睛。

むかしここに榮えた人達が後に殘した藝術と信仰と、その後に出て來た破壞者の無遠慮な破壞の痕は、皆草に埋れてしまつて、人間の努力のどうせ無駄に過ぎない事を語つてゐる。ここに來て氣持のいいのは、美しいものと、それを滅ぼした人間のある力と、どつちも消えてすつかり跡方が無くならうとしてゐる事だ。名高い飛鳥の大佛といふのは、今安居院に殘つてゐる丈六の銅像の事で、お堂の構を少しも取り壞さないで、あれだけの大佛を入れたのは、世にも不思議な手練だと言ひ傳へられてゐる。實際その時代の知識で、萬が一にも出來ないと信じてゐた事を仕遂げたのは驚嘆すべき不思議で、人間の努力の極致を『可能』に一を加へたものだとすれば、安居院の狹苦しい御堂に丈六の佛を入れたのは、その極致の象徴として見る事が出來る。――が、それももうこんなに荒れてしまつて、むかしの努力の跡といつたら、何一つ見られなくなつてゐる。はかない人間の仕事は、かうした荒廢の前に立つては、睫毛一つ動かすにも足りないのだ。なんといふ嚴肅沈痛な姿であらう。これは自然のどん底に落ちついた大肯定であり、また大否定である。――私は怯えたやうな心を抱いて、じつと眼をつぶつた。

……我想走到今天,就像某位诗人一样,总是把美丽的花种子藏在衣袋里。如果觉得土地合适,就给自己播种,也让别人播种。就这样播下了种子的美丽花朵,被不明所以的群众和等待某种权力的人用粗糙的脚尖踩着,有的被折断柔软的花茎,有的甚至被蘂黄的粉末状浸染到地面,用力地蹂躏着。被)了。一想到这些,我就气得喘不过气来。

 ……私は今日まで途を歩かうといふには、どこやらの詩人のやうに、いつも美しい花の種子を隱しに入れて置いた。そして程よい土地だと思ふと、自分にも蒔いたり、他にも蒔かせたりした。かうして種子を蒔いた美しい花は、わからずやの群衆だの、ある權力を待つたものの荒つぽい爪先にかけられて、あるものはやはらかい莖を折られ、あるものは黄いろい蘂の粉が地べたに染みこむまで力強く蹂躙(ふみにじ)られた。私はそれを思ふと、いつも腹立たしさに息がつまるやうだ。

但幸运的是,我们撒下的花,就像依偎在青翠深渊上的蔓草,茎部开着一双能看透自己和自己命运的眼睛。这双眼睛里有一种平静的光,甚至可以眺望自己即将毁灭的身体。与此相比,那些想要蹂躏这些东西的人的悲惨——他们的生活就像巨大的胃一样,不管什么东西都随便乱动,自己的生命所能吸收的量就少之又少。只有一点点。他们在灭亡之日相遇,就会像那个胃大的病人断食一样,一点支撑不住就会死去。——一想到这里,我就对这种荒废的景象产生了一种无以言喻的温暖之情……

しかし幸福な事には、私達の蒔いた花は、あの青淵にすがりついた蔓草のやうに、その莖に吾とわが運命を見透し得る眼が開いてゐる。この眼には今滅びかかつた自分の身をすら眺める事の出來る靜かな光がある。それに比べてこれを蹂躙らうといふ輩のみじめさといつたら――彼等の生活はちやうど巨大胃(メガロガストリ)のやうに、どんな物でも手當り次第に荒こなしをするだけで、自分の生命に吸ひとる分量といつたら、ほんの僅かしかない。彼等が滅亡の日に出會すと、ちやうどかうした巨大胃の病人が食斷ちしたやうに、少しの持堪(もちこた)へもなく死んでしまふ。――それを思ふと、かうした荒廢の姿に、私は言はうやうのない温かい氣持をもつ事が出來る……

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作者:倾城
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来源:TechFM
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THE END
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