少年的悲哀 国木田独步
少年の悲哀
国木田独歩
少年こどもの歓喜よろこびが詩であるならば、少年こどもの悲哀かなしみもまた詩である。自然の心に宿る歓喜よろこびにしてもし歌うべくんば、自然の心にささやく悲哀かなしみもまた歌うべきであろう。
ともかく、僕は僕の少年こどもの時の悲哀かなしみの一ツを語ってみようと思うのである。(と一人の男が話しだした。)
僕は八つの時から十五の時まで叔父おじの家で育ったので、そのころ、僕の父母は東京にいられたのである。
叔父の家はその土地の豪家で、山林田畑でんぱたをたくさん持って、家に使う男女なんにょも常に七八人いたのである。僕は僕の少年こどもの時代をいなかで過ごさしてくれた父母の好意を感謝せざるを得ない。もし僕が八歳の時父母とともに東京に出ていたならば、僕の今日はよほど違っていただろうと思う。少なくとも僕の知恵は今よりも進んでいたかわりに、僕の心はヲーズヲース一巻より高遠にして清新なる詩想を受用しうることができなかっただろうと信ずる。
僕は野山を駆け暮らして、わが幸福なる七年を送った。叔父の家は丘のふもとにあり、近郊には樹林多く、川あり泉あり池あり、そしてほど遠からぬ所に瀬戸内せとうち内海の入江がある。山にも野にも林にも谷にも海にも川にも、僕は不自由をしなかったのである。
ところが十二の時と記憶する、徳二郎という下男がある日、僕に今夜おもしろい所につれてゆくが行かぬかと誘うた。
「どこだ。」と僕はたずねた。
「どこだと聞かっしゃるな、どこでもええじゃござんせんか、徳のつれてゆく所におもしろうない所はない」と徳二郎は微笑を帯びて言った。
この徳二郎という男はそのころ二十五歳ぐらい、屈強な若者で、叔父おじの家には十一二の年から使われている孤児みなしごである。色の浅黒い、輪郭の正しい立派な男、酒を飲めば必ず歌う、飲まざるもまた歌いながら働くという至極元気のよい男であった。いつも楽しそうに見えるばかりか、心ばせも至って正しいので、孤児みなしごには珍しいと叔父をはじめ土地の者みんなに、感心せられていたのである。
「しかし叔父おじさんにも叔母おばさんにも内証ですよ」と言って、徳二郎は歌いながら裏山に登ってしまった。
ころは夏の最中もなか、月影さやかなる夜であった。僕は徳二郎のあとについて田んぼにいで、稲の香高きあぜ道を走って川の堤に出た。堤は一段高く、ここに上のぼれば広々とした野づら一面を見渡されるのである。まだ宵よいながら月は高く澄んで、さえた光を野にも山にもみなぎらし、野末には靄もやかかりて夢のごとく、林は煙をこめて浮かぶがごとく、背せの低い川やなぎの葉末に置く露は玉のように輝いている。小川の末はまもなく入り江、潮に満ちふくらんでいる。船板をつぎ合わしてかけた橋の急に低くなったように見ゆるのは水面の高くなったので、川やなぎは半ば水に沈んでいる。
堤の上はそよ吹く風あれど、川づらはさざ波だに立たず、澄み渡る大空の影を映して水の面おもは鏡のよう。徳二郎は堤をおり、橋の下につないである小舟のもやいを解いて、ひらりと乗ると、今まで静まりかえっていた水面がにわかに波紋を起こす。徳二郎は、
「坊様早く早く!」と僕を促しながら櫓ろを立てた。
僕の飛び乗るが早いか、小舟は入り江のほうへと下りはじめた。
入り江に近づくにつれて川幅次第に広く、月は川づらにその清光をひたし、左右の堤は次第に遠ざかり、顧みれば川上はすでに靄もやにかくれて、舟はいつしか入り江にはいっているのである。
広々した湖のようなこの入り江を横ぎる舟は僕らの小舟ばかり。徳二郎はいつもの朗らかな声に引きかえ、この夜は小声で歌いながら静かに櫓ろをこいでいる。潮の落ちた時は沼とも思わるる入り江が高潮と月の光とでまるで様子が変わり、僕にはいつも見慣れた泥臭どろくさい入り江のような気がしなかった。南は山影暗くさかしまに映り、北と東の平野は月光蒼茫そうぼうとしていずれか陸、いずれか水のけじめさえつかず、小舟は西のほうをさして進むのである。
西は入り江の口、水狭くして深く、陸迫りて高く、ここを港にいかりをおろす船は数こそ少ないが形は大きく大概は西洋形の帆前船で、その積み荷はこの浜でできる食塩、そのほか土地の者で朝鮮貿易に従事する者の持ち船も少なからず、内海を行き来する和船もあり。両岸の人家低く高く、山に拠より水に臨むその数数百戸すひゃっこ。
入り江の奥より望めば舷燈げんとう高くかかりて星かとばかり、燈影低く映りて金蛇きんだのごとく。寂漠せきばくたる山色月影のうちに浮かんで、あだかも絵のように見えるのである。
舟の進むにつれてこの小さな港の声が次第に聞こえだした。僕は今この港の光景を詳しく説くことはできないが、その夜僕の目に映って今日なおありありと思い浮かべることのできるだけを言うと、夏の夜の月明らかな晩であるから、船の者は甲板にいで、家の者は外にいで、海にのぞむ窓はことごとく開かれ、ともし火は風にそよげども水面は油のごとく、笛を吹く者あり、歌う者あり、三味線の音につれて笑いどよめく声は水に臨める青楼より起こるなど、いかにも楽しそうな花やかなありさまであったことで、しかし同時にこの花やかな一幅の画図がずを包むところの、寂寥せきりょうたる月色山影水光を忘るることができないのである。
帆前船の暗い影の下をくぐり、徳二郎は舟を薄暗い石段のもとに着けた。
「お上がりなさい」と徳は僕を促した。堤の下で「お乗りなさい」と言ったぎり、彼は舟中しゅうちゅう僕に一語を交じえなかったから、僕はなんのために徳二郎がここに自分を伴のうたのか少しもわからない、しかし言うままに舟を出た。
もやいをつなぐや、徳二郎も続いて石段に上がり、先に立ってずんずん登って行く、そのあとから僕も無言でついて登った。石段はその幅半間より狭く、両側は高い壁である。石段を登りつめると、ある家の中庭らしい所へ出た。四方板べいで囲まれ、すみに用水おけが置いてある、板べいの一方は見越しに夏みかんの木らしく暗く茂ったのがその頂を出している、月の光はくっきりと地に印して寂せきとして人のけはいもない。徳二郎はちょっと立ち止まって聞き耳を立てたようであったが、つかつかと右なるほうの板べいに近づいて向こうへ押すと、ここはくぐりになっていて、黒い戸が音もなくあいた。見ると、戸にすぐ接して梯子段はしごだんがある。戸があくと同時に、足音静かに梯子段はしごだんをおりて来て、
「徳さんかえ?」と顔をのぞいたのは若い女であった。
「待ったかね?」と徳二郎は女に言って、さらに僕のほうを顧み、
「坊様を連れて来たよ」と言い足した。
少年的悲哀
国木田独步
如果说少年儿童的欢乐是诗,那么少年儿童的悲哀也是诗。如果自然之心所寄宿的喜悦也可以歌唱,那么自然之心所低语的悲哀也应该歌唱。
总之,我想说说我少年时代的一种悲哀。(一个男人开始说话了。)
我从八岁到十五岁都是在叔叔家长大的,那时我的父母住在东京。
叔父家是当地的豪族,拥有很多山林田地田地,家里经常有七八名男女侍奉。我不得不感谢在乡下度过我少年时代的父母的好意。假如我八岁时随父母来到东京,我想今天的我将大不相同。至少我的智慧比现在先进,但我相信我的心灵无法获得比一卷《图画》高远清新的诗想。
我在山野中生活,度过了幸福的七年。叔父家在山脚下,近郊有很多树林,有河流、有泉水、有池塘,不远处还有濑户内海的海湾。山、野、林、谷、海、河,我都不觉得不自由。
记得十二岁的时候,有个叫德二郎的男仆邀请我今晚带他去一个有趣的地方。
“在哪里?”我问。
“你问我去哪里?去哪里都可以,德二郎带我去的地方没有不好玩的地方。”德二郎微笑着说。
这个叫德二郎的男人当时二十五岁左右,是个身强力壮的年轻人,是叔叔家从十一二岁开始收养的孤儿。皮肤微黑、轮廓端正的英俊男子,喝酒必唱歌,不喝酒也边唱歌边干活,精神非常好。他不仅总是一副快乐的样子,而且心地善良,叔父和当地人都很佩服他,认为孤儿中很少见。
“不过,我对叔叔婶婶都保密哦。”德二郎唱着歌爬上后山。
时值盛夏,一个月光皎洁的夜晚。我跟在德二郎身后来到田里,沿着稻香扑鼻的田间小道跑到河堤上。堤坝高出一截,登上堤坝可以俯瞰广阔的原野。天还没黑,月亮却清高皎洁,原野和山峦都洒满了皎洁的阳光,原野的尽头雾霭朦胧如梦,树林里烟雾缭绕,低矮的川柳树叶上的露珠闪闪发光。小河的尽头是海湾,涨潮鼓胀。由船板拼接而成的桥似乎突然变低了,因为水面变高了,柳叶有一半沉入水中。
河堤上虽然有微风吹拂,但河面没有一丝涟漪,倒映着晴朗天空的水面像镜子一样。德二郎走下河堤,解开绑在桥下的小船的绳索,轻巧地坐了上去,一直平静的水面突然泛起波纹。德二郎说:
“少爷,快点快点!”一边催促我一边架起了高台。
我刚一跳上去,小船就开始往海湾方向驶去。
越靠近海湾,河面越宽,月光照耀着河面的清光,左右河堤渐行渐远,回头一看,河面上已经笼罩在雾霭中,小舟不知何时驶入了海湾。
如同广阔湖泊的海湾上,横渡的船只都是我们的小船。德二郎一改往日爽朗的声音,这天夜里他一边小声唱歌,一边静静地摇橹。落潮时被认为是沼泽的海湾,在高潮和月光的照射下完全变了样,不再是我平时看惯的泥泞不堪的海湾。南边山影幽暗,东北方的平原月光苍茫,分不清哪边是陆地,哪边是水,小船指向西边前进。
西面是海湾口,水窄而深,陆地高,在这里卸锚的船虽然数量不多,但形状很大,大多是西洋式的帆前船,装载的货物是在这个海滨生产的食盐,以及其他从事朝鲜贸易的当地人所拥有的船只。来往于内海的和船也不少。两岸人家地势低高,依山临水的数百户人家。
从海湾深处望去,船舷灯高高挂起,星星点点,灯影低垂,宛如一条金蛇。寂漠山色浮现在月影中,宛如一幅画。
随着小舟的前进,这个小港的声音渐渐传来。我现在不能详细描述这个港口的情景,但只说那天晚上我眼中至今还能清晰想起的事情:那是一个夏夜月光皎洁的夜晚,船上的人在甲板上,家里的人在外面,在海上。所有窗户都开着,灯火随风摇曳,水面却像油一样,有人吹笛,有人唱歌,三弦琴的乐声从临水的青楼传来,一片欢乐热闹的景象。但同时也忘不了这幅华丽图画所包裹的寂寥月色山影水光。
穿过帆前船的阴影,德二郎将船停在昏暗的石阶下。
“请进。”德催促我。他在堤下说了声“请上船”,便在船上不跟我说一句话,我也不明白德二郎为什么要带自己来这里,但还是顺从地离开了船。
拴好缆绳后,德二郎也跟着爬上石阶,带头快步往上爬,我也默默跟在后面爬上去。石阶的宽度小于半间,两侧是高墙。爬上石阶,来到一户人家的中庭。四周用木板围起来,角落里放着水桶,木板的一侧露出阴郁茂密的夏橙树的顶部,月光清晰地映在地上,四周阒无人迹。德二郎停了一下,竖起耳朵听着,他大步走到右边的木板墙边,往对面一推,发现这里是一个小洞,黑色的门无声地打开了。定睛一看,紧挨着门的是楼梯。门打开的同时,蹑手蹑脚地走下楼梯。
“是德先生吗?”探头张望的是一个年轻女子。
“等很久了吗?”德二郎对女人说,又回头看我。
“我把和尚带来了。”他补充道。
“和尚,快上来吧。你也快上来吧,在这里磨蹭可不行。”女子催促德二郎,德二郎赶紧开始爬楼梯。
和尚,太暗了。”说完,他就和女人一起上去了,我也只好跟着爬上昏暗狭窄陡峭的楼梯。
不知道,这所房子是青楼之一,刚才被女人领进的房间是临海的一间房间,根据栏上的记载,港口内自不必说,海湾深处、原野的尽头,甚至西边大海的尽头都能一览无余。不过,房间有六张榻榻米大小,榻榻米也很旧,一看就知道不是很气派的房间。
“和尚,请到这里来。”女子说着,把坐垫搬到栏杆边,劝我吃夏橙和其他水果点心。打开隔壁房间一看,里面准备了酒菜。女人和德二郎抬着它相对而坐。
德二郎露出平时少有的愁眉苦脸的表情,接过女人递来的酒杯一饮而尽。
“终于决定是几号什么时候了?”盯着女人的脸问。女人大约十九岁或二十岁,脸色苍白,有气无力的样子,我甚至怀疑她是不是病人。
“明天、后天、大后天,”女人掰着手指说,“就定在后天了。不过,我现在又有点迷惘了。”她一边说一边垂着头,用袖子轻轻擦了擦眼睛。在这期间,德二郎自斟自饮,咕嘟咕嘟地喝着酒。
“事到如今说什么也没用。”
“话是这么说——不过仔细想想,死了不知要好多少。”
“哈哈哈,你这老姐说要死了,怎么办呢?……喂喂,我把约好的和尚带过来了,你好好看看吧。”
“我从刚才就一直在看呢,确实很像,很佩服呢。”女子说着,含着笑意定定地看着我的脸。
“像谁?”我惊讶地问。
“是我弟弟,和尚长得像弟弟太可惜了,你看这个。”女子从腰带里取出一张照片给我看。
和尚,这位姐姐把那张照片给德看了,说这张照片和我们家的和尚一点也不差,就拜托他一定要带我来,今晚是带和尚来的,要多吃点好吃的。不行哦。”德二郎边说边喝个不停。女人靠近我,
“好了,我什么都请,和尚,有什么事吗?”女子温柔地说着,微微一笑。
“什么都不要。”我说着把头扭向一边。
“那我们坐船吧,和我一起坐船吧,嗯,就这样吧。”德二郎说着先走了出去,我也照她说的跟在她身后走下楼梯,他只是笑嘻嘻地看着。
年轻女子走下前面的石阶,先让我坐上去,然后解开绳索跳了上去,轻手轻脚地操纵起橹来。虽然还是个少年小孩,但我还是对这个女人的举动感到惊讶。
离开岸边抬头一看,德二郎正站在栏杆上往下看,灯光从里面照进来,月光从外面照进来,他的身影清晰可见。
“不小心很危险!”德二郎居高临下地说。
“没事!”女子在下面回答说:“我马上就回来,你等着我。”
小船在六七艘大船小船之间穿行了一会儿,不久便驶上了宽阔的海面。月光越发皎洁,仿佛秋夜降临,女子停下划着的手在我身旁坐下。又仰望月亮,又环视四周。
“和尚,你几岁了?”问道。
“十二。”
“我弟弟的照片也是十二岁的时候拍的,现在十六……对了,十六岁了,十二岁的时候就分开了,一直没见过面,所以现在也觉得他和和尚一样。”说着,她盯着我的脸看了一会儿,眼眶立刻湿润了。在月光的照射下,那张脸显得更加苍白。
“死了吗?”
“不,如果死了反而会死心,可一旦分开,就不知道该怎么去了。父母早亡,只有姐弟俩,曾经互相扶持,现在却天各一方,连生死都不知道了。而且我不久也将被遣送到朝鲜,所以不知道能不能在这个世界上相见。”说着,眼泪顺着脸颊流下来,她也不擦,只是看着我的脸抽泣起来。
我望着陆地默默听着。家家户户的灯火映在水里闪烁着。男人划着大船的舢板,摇橹声缓缓嘎吱作响,用清澈的声音唱着船歌。这时,我感到一种少年童心难以言喻的悲哀。
德二郎立刻驾着小船靠近。
“我带酒来了!”德在两三间远的地方大声说。
“好高兴啊,刚才跟和尚说起弟弟的事,哭了呢。”女人说着说着,德二郎的小船来到身边。
“哈哈哈,你怎么怎么想呢?你怎么怎么想?”“你怎么怎么想?”德二郎似乎已经醉了。女人往德二郎递过来的大杯子里斟满酒,一口气喝光。
“再来一杯。”这次是德二郎顺便说的,女人又一口气喝干,对着月亮吐了一口气酒气。
“好了,现在我唱给你听。”
“不,德先生,我想痛痛快快地哭一场,这里没有人看见,也听不到,让我哭吧,让我痛痛快快地哭吧。”
“哈哈哈,你就别哭了,我和和尚一起去听。”德二郎看着我笑了。
女人伏在地上大哭起来,因为发不出声音,脊背起伏着,看起来很痛苦。德二郎突然一脸认真地看着这一幕,随即又转过脸去,望着山的方向沉默不语。
“德,我们回去吧。”说罢,女人突然抬起头来。
“对不起啊,和尚看到我哭的样子真的很无聊……因为和尚来了,所以我好像见到了弟弟一样。和尚也很健康,要快点长大成为了不起的人哦。”胸口好像饿了。”
女人送我们的船走了三四艘,被德二郎骂了一顿,停下了划船的手,不一会儿,两艘小船渐渐远去了。船离别的时候,女人一直对着我,
“请把我忘了吧。”他反复说。
直到十七年后的今天,我依然清楚地记得这个夜晚的情景,想忘也忘不掉。直到现在,可怜女人的脸仍不时浮现在眼前。那晚,一片哀愁如薄雾笼罩着我的心,随着岁月的流逝越来越浓,现在只要回想起当时我的心情,就会感到难以忍受的、深沉的、寂静的、无尽的悲哀。看。
后来,德二郎在我叔叔的照顾下当了个好农民,现在成了两个孩子的父亲。
漂流女子漂洋过海到朝鲜后,在天涯海角漂泊,过着虚无缥缈的一生,还是已经离开人世,去了寂静的死亡之国,我当然不知道。郎好像也不知道。
「坊様、お上がんなさいナ。早くお前さんも上がってください、ここでぐずぐずしているといけないから」と女は徳二郎を促したので、徳二郎は早くも梯子段はしごだんを登りはじめ、
「坊様、暗うございますよ」と言ったぎり、女とともに登ってしまったから僕もしかたなしにそのあとについて暗い、狭い、急な梯子段はしごだんを登った。
なんぞ知らん、この家は青楼の一で、今女に導かれてはいった座敷は海に臨んだ一間ひとま、欄によれば港内はもちろん入り江の奥、野の末、さては西なる海の果てまでも見渡されるのである。しかし座敷は六畳敷の、畳も古び、見るからしてあまり立派な室へやではなかった。
「坊様、さアここへいらっしゃい」と女は言って、座ぶとんをてすりのもとに運び、夏だいだいそのほかのくだもの菓子などを僕にすすめた。そして次の間をあけると酒肴さけさかなの用意がしてある。それを運びこんで女と徳二郎はさし向かいにすわった。
徳二郎はふだんにないむずかしい顔をしていたが、女のさす杯を受けて一息にのみ干し、
「いよいよ何日いつと決まった?」と女の顔をじっと見ながらたずねた。女は十九か二十はたちの年ごろ、色青ざめてさも力なげなるさまは病人ではないかと僕の疑ったくらい。
「あす、あさって、明々後日やのあさって」と女は指を折って、「やのあさってに決まったの。しかしね、わたしは今になって、また気が迷って来たのよ」と言いつつ首をたれていたが、そっと袖そでで目をぬぐった様子。その間に徳二郎は手酌てじゃくで酒をグイグイあおっていた。
「今さらどうと言ってしかたがないじゃアないか。」
「それはそうだけれど――考えてみると、死んだほうがなんぼ増しだか知れないと思って。」
「ハッハッヽヽヽヽ坊様、このねえさんが死ぬと言いますが、どうしましょうか。……オイオイ約束の坊様を連れて来たのだ、よく見てくれないか。」
「さっきから見ているのよ、なるほどよく似ていると思って感心しているのよ。」と女は言って、笑いを含んでじっと僕の顔を見ている。
「だれに似ているのだ。」と僕は驚いてたずねた。
「わたしの弟にですよ、坊様を弟に似ているなどともったいない事だけれど、そら、これをごらんなさい。」と女は帯の間から一枚の写真を出して僕に見せた。
「坊様、このねえさんがその写真を徳に見せましたから、これは宅うちの坊様と少しも変わらんと言いましたら、ぜひ連れて来てくれと頼みますから、今夜坊様を連れて来たのだから、たくさんごちそうをしてもらわんといけませんぞ。」と徳二郎は言いつつも、止め度なく飲んでいる。女は僕にすり寄って、
「サア、なんでもごちそうしますとも、坊様、何がようございますか」と女は優しく言って、にっこり笑った。
「なんにもいらない」と僕は言って横を向いた。
「それじゃ、舟へ乗りましょう、わたしと舟へ乗りましょう、え、そうしましょう。」と言って先に立って出て行くから、僕も言うままに、女のあとについて梯子段はしごだんをおりた、徳二郎はただ笑って見ているばかり。
先の石段をおりるや、若き女はまず僕を乗らして後、もやいを解いてひらりと飛び乗り、さも軽々と櫓ろをあやつりだした。少年こどもながらも、僕はこの女のふるまいに驚いた。
岸を離れて見上げると、徳二郎はてすりによって見おろしていた、そして内よりは燈あかりがさし、外よりは月の光を受けて、彼の姿がはっきりと見える。
「気をつけないとあぶないぞ!」と、徳二郎は上から言った。
「大丈夫!」と女は下から答えて「すぐ帰るから待っていておくれ。」
舟はしばらく大船小船六七艘そうの間を縫うて進んでいたが、まもなく広々とした沖合に出た。月はますますさえて秋の夜かと思われるばかり、女はこぐ手をとどめて僕のそばにすわった。そしてまた月を仰ぎ、またあたりを見回しながら、
「坊様、あなたはおいくつ?」とたずねた。
「十二。」
「わたしの弟の写真も十二の時のですよ、今は十六……、そうだ、十六だけれど、十二の時に別れたぎり会わないのだから、今でも坊様と同じような気がするのですよ。」と言って僕の顔をじっと見ていたが、たちまち涙ぐんだ。月の光を受けて、その顔はなおさら青ざめて見えた。
「死んだの?」
「いいえ、死んだのならかえってあきらめがつきますが、別れたぎり、どうなったのか行いき方がたが知れないのですよ。両親ふたおやに早く死に別れて、たった二人の姉弟きょうだいですから、互いに力にしていたのが、今では別れ別れになって、生き死にさえわからんようになりました。それに、わたしも近いうち朝鮮につれて行かれるのだから、もうこの世で会うことができるかできないかわかりません。」と言って、涙がほおをつとうて流れるのをふきもしないで僕の顔を見たまますすり泣きに泣いた。
僕は陸のほうを見ながら黙ってこの話を聞いていた。家々のともし火は水に映ってきらきらとゆらいでいる。櫓ろの音をゆるやかにきしらせながら大船の伝馬てんまをこいで行く男は、澄んだ声で船歌を流す。僕はこの時、少年こどもごころにも言い知られぬ悲哀かなしみを感じた。
たちまち小舟を飛ばして近づいて来た者がある、徳二郎であった。
「酒を持って来た!」と徳は大声で二三間げん先から言った。
「うれしいのねえ、今、坊様に弟のことを話して泣いていたの」と女の言ううち、徳二郎の小舟はそばに来た。
「ハッハッヽヽヽヽ[#「ヽヽヽヽ」は底本では「ヽヽヽ」]おおかたそんなことだろうと酒を持って来たのだ、飲みな飲みな、わしが歌ってやる!」と徳二郎はすでに酔っているらしい。女は徳二郎の渡した大コップに、なみなみと酒をついで息もつかずに飲んだ。
「も一ツ」と今度は徳二郎がついでやったのを、女はまたもや一息ひといきに飲み干して、月に向かって酒気をほっと吐いた。
「サアそれでよい、これからわしが歌って聞かせる。」
「イイエ徳さん、わたしは思い切って泣きたい、ここならだれも見ていないし、聞こえもしないから泣かしてくださいな、思い切って泣かしてくださいな。」
「ハッハッヽヽヽヽそんなら泣きナ、坊様と二人で聞くから」と徳二郎は僕を見て笑った。
女は突っ伏して大泣きに泣いた、さすがに声は立て得ないから背を波打たして苦しそうであった。徳二郎は急にまじめな顔をしてこのありさまを見ていたが、たちまち顔をそむけ、山のほうを見て黙っている、僕はしばらくして、
「徳、もう帰ろう」と言うや、女は急に頭を上げて、
「ごめんなさいよ、ほんとに坊様は、わたしの泣くのを見ていてもつまりません。……わたし、坊様が来てくださったので弟に会ったような気がいたしました。坊様もお達者で、早く大きくなって偉いかたになるのですよ」とおろおろ声で言って「徳さんほんとにあまりおそくなるとお宅うちに悪いから、早く坊様を連れてお帰りよ、わたしは今泣いたので、きのうからくさくさしていた胸がすいたようだ。」
女は僕らの舟を送って三四丁も来たが、徳二郎にしかられてこぐ手を止めた、そのうちに二艘そうの小舟はだんだん遠ざかった。舟の別れんとする時、女は僕に向かっていつまでも、
「わたしの事を忘れんでいてくださいましナ」とくり返して言った。
その後十七年の今日まで、僕はこの夜の光景をはっきりと覚えていて、忘れようとしても忘るることができないのである。今もなお、哀れな女の顔が目のさきにちらつく。そしてその夜、うすいかすみのように僕の心を包んだ一片の哀情かなしみは、年とともに濃くなって、今はただその時の僕の心持ちを思い起こしてさえ堪えがたい、深い、静かな、やる瀬のない悲哀かなしみを覚えるのである。
その後徳二郎は僕の叔父おじの世話で立派な百姓になり、今では二人の子の父親になっている。
流れの女は朝鮮に流れ渡って後、さらにいずこの果てに漂泊してそのはかない生涯しょうがいを送っているやら、それともすでにこの世を辞して、むしろ静粛なる死の国におもむいたことやら、僕はむろん知らないし、徳二郎も知らんらしい。
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