想说的事和必须说的事 桐生悠然
想说的事和必须说的事
桐生悠然
人动辄以我说想说的话,结果,幸福。但是,我认为在这种情况下,必须区分想说的话和必须说的话。
我不是在说我想说的话。并不是一味地想说什么就说什么,贪图快感。我说的是作为一个公民,特别是在这个非常时期,对国家的未来,作为一个真正的爱国者,同时也是作为一个人类应该说的话。
想说什么就说什么,一定很愉快。但是,说出该说的话,不是愉快的,而是痛苦的。因为,说自己想说的话是行使权利,相反,说应该说的话是履行义务。履行义务的自我意识无疑是愉快的,但这种愉快是消极的愉快,而不是普通的愉快。
而且,履行这一义务往往伴随着牺牲。至少会招致损害。现在我说防空演习该说的话,军部剥夺了我的生活权利。根据往年新爱知新闻的报道,关于桧山事件,我也说了一些应该说的话,因此被司法当局多次起诉,甚至被论处体刑。这绝不是愉快,而是痛苦。至少令人不快。
有证据表明,我对防空演习说了该说的话,海军军人也证实了这一点。海军军人甚至在当时的地方演讲会,即长野县某地方演讲会,也发表了与我相同的意见。因为陆军的防空演习无视海军的飞机。让敌人的飞机出现在帝都上空,暗示着海军的飞机无能为力。
我因为拒绝参加防空演习而被军部剥夺了生活权,原因恐怕并不仅仅是这个拒绝。我在信浓每日多次说我是一个不畏惧军人的政治家,另外,关于五一五事件和大阪鬼鬼事件,我也说了作为立宪治下的国民必须说的话,所以多次引起他们的愤怒。是吧。对于生活在安全第一主义的现代人来说,这是多余的,但作为立宪统治下的国民,我说的话不是想说的,而是不得不说的。因此,我的生活权利最终被剥夺了。绝不是愉快、幸福的事。
我为了不看到像二二六事件那样的不祥事件,预先对军部和政府当局说了作为国民应该说的话。我因为这个蒙受了巨大损失。然而,从二二六事件来看,如今寺内陆相严格保障了肃军,这是不幸中的幸福。与此同时,我能在此感到一种短暂的、淡淡的消极的愉快,这也是我自身的一种幸福。我从来没有说我想说的话,而是说我必须说的话。又说了。
最后,二二六事件以来,国民的情绪,至少议会的气氛,作为其反作用变得十分明朗。而议员们现在也可以放心地——尽管仍处于戒严令之下——说出该说的话了。斋藤隆夫的提问演说就是说出该说的话的最佳例子。但是,津村氏在贵族院的质问已经超越了不得不说的范围,说出了自己想说的话。相泽中佐杀了人去赴任也不奇怪,这是必须说的,至于说下士兵卒忠诚,军官不忠诚,那就是想说什么就说什么了。
应该严格区分想说的话和必须说的话。
(昭和十一年六月)
言いたい事と言わねばならない事と
桐生悠々
人動ややもすれば、私を以て、言いたいことを言うから、結局、幸福だとする。だが、私は、この場合、言いたい事と、言わねばならない事とを区別しなければならないと思う。
私は言いたいことを言っているのではない。徒に言いたいことを言って、快を貪っているのではない。言わねばならないことを、国民として、特に、この非常時に際して、しかも国家の将来に対して、真正なる愛国者の一人として、同時に人類として言わねばならないことを言っているのだ。
言いたいことを、出放題に言っていれば、愉快に相違ない。だが、言わねばならないことを言うのは、愉快ではなくて、苦痛である。何ぜなら、言いたいことを言うのは、権利の行使であるに反して、言わねばならないことを言うのは、義務の履行だからである。尤も義務を履行したという自意識は愉快であるに相違ないが、この愉快は消極的の愉快であって、普通の愉快さではない。
しかも、この義務の履行は、多くの場合、犠牲を伴う。少くとも、損害を招く。現に私は防空演習について言わねばならないことを言って、軍部のために、私の生活権を奪われた。私はまた、往年新愛知新聞に拠って、いうところの檜山事件に関して、言わねばならないことを言ったために、司法当局から幾度となく起訴されて、体刑をまで論告された。これは決して愉快ではなくて、苦痛だ。少くとも不快だった。
私が防空演習について、言わねばならないことを言ったという証拠は、海軍軍人が、これを裏書している。海軍軍人は、その当時に於てすら、地方の講演会、現に長野県の或地方の講演会に於て私と同様の意見を発表している。何ぜなら、陸軍の防空演習は、海軍の飛行機を無視しているからだ。敵の飛行機をして帝都の上空に出現せしむるのは、海軍の飛行機が無力なることを示唆するものだからである。
防空演習を非議したために、私が軍部から生活権を奪われたのは、単に、この非議ばかりが原因ではなかったろう。私は信濃毎日に於て、度々軍人を恐れざる政治家出でよと言い、また、五・一五事件及び大阪のゴーストップ事件に関しても、立憲治下の国民として言わねばならないことを言ったために、重ねがさね彼等の怒を買ったためであろう。安全第一主義で暮らす現代人には、余計なことではあるけれども、立憲治下の国民としては、私の言ったことは、言いたいことではなくて、言わねばならないことであった。そして、これがために、私は終に、私の生活権を奪われたのであった。決して愉快なこと、幸福なことではない。
私は二・二六事件の如き不祥事件を見ざらんとするため、予め軍部に対して、また政府当局に対して国民として言わねばならないことを言って来た。私は、これがために大損害を被った。だが、結局二・二六事件を見るに至って、今や寺内陸相によって厳格なる粛軍が保障さるるに至ったのは、不幸中の幸福であった。と同時に、この私が、はかないながらも、淡いながらも、ここに消極的の愉快を感じ得るに至ったのも、私自身の一幸福である。私は決して言いたいことを言っているのではなくて、言わねばならない事を言っていたのだ。また言っているのである。
最後に、二・二六事件以来、国民の気分、少くとも議会の空気は、その反動として如何にも明朗になって来た。そして議員も今や安んじて――なお戒厳令下にありながら――その言わねばならないことを言い得るようになった。斎藤隆夫氏の質問演説はその言わねばならないことを言った好適例である。だが、貴族院に於ける津村氏の質問に至っては言わねばならないことの範囲を越えて、言いたいことを言ったこととなっている。相沢中佐が人を殺して任地に赴任するのを怪しからぬというまでは、言わねばならないことであるけれども、下士兵卒は忠誠だが、将校は忠誠でないというに至っては、言いたいことを言ったこととなる。
言いたい事と、言わねばならない事とは厳に区別すべきである。
(昭和十一年六月)
版权声明:
作者:dingding
链接:https://www.techfm.club/p/221401.html
来源:TechFM
文章版权归作者所有,未经允许请勿转载。
共有 0 条评论